ココロオドル鹿嶋を再発見vol.22~遠くからきた藤の花~

鹿嶋市どきどきセンターby:鹿嶋市どきどきセンター

角内遺跡から出土した色絵徳利

 器の表面に朱を基調とした色で藤の花を表現した一品が、この色絵徳利です。これは角内遺跡から出土したもので、角内遺跡からは江戸時代の遺構・遺物が多数出土しています。

 この色絵徳利は、角内遺跡のSK30土坑という長軸1.27m、短軸1.17m、深さ20~38㎝を測る浅い穴から出土していて、このほかに瓦質土器の七輪や陶器小皿、砥石、キセルなどが出土しており、特に七輪が一個体に接合する等の状況から、ある時期に一括してモノが廃棄された土坑と考えられます。

角内遺跡から出土したその他の陶磁器

 角内遺跡では、近世の遺物が多数確認され、調査区全体から散らばった状態で出土しています。陶磁器では、器種別に碗・皿・壷・甕・鉢が多く、華瓶・燭台・乗燭・火桶なども出土しており、多種多様な遺物構成と言えます。

 角内遺跡は鹿島神宮に近接した立地にあり、現在の大字でも「宮中」とされる通り、鹿島神宮の神領として栄えた場所でした。また、遠方から鹿島神宮へ参拝する「鹿島詣」が流行し、香取神宮・息栖神社と併せて東国三社を巡られるなど、信仰を集めた土地です。

 こうした場所で近世の陶磁器が大量に出土したことからは、往時の鹿島神宮門前町の隆盛が垣間見えます。

色絵徳利の出土状況

 さて、角内遺跡から出土した色絵徳利に話を戻します。この徳利は磁器製で、現在の佐賀県有田町を中心とした地域で生産された製品です。考古学上では「肥前窯」と、美術上では「有田焼」や「伊万里焼」といった名称が使われているものです。肥前窯は豊臣秀吉の朝鮮出兵によって連れてこられた朝鮮半島の工人によって、はじめての国産磁器が焼かれた窯跡群として知られ、江戸時代の廻船流通網を用いて、日本全国に流通しました。

 また、17世紀の半ばに中国大陸の大国、明が海禁政策を行い、明で生産されていた最高級の中国陶磁器が外国に持ち出せなくなると、代わりに肥前窯の陶磁器が脚光を浴び、ヨーロッパの諸国やエジプト、トルコなどにも流通しました。著名なところでは、トルコのトプカプ宮殿にも飾られています。

江戸時代の二大窯業生産地

 大流通をみせた肥前磁器。角内遺跡で出土した色絵徳利は器の表面に流麗な藤の花や蝶が描かれた優品です。江戸時代にエジプトやトルコ、ヨーロッパへと渡ったものと同じ産地のものが、こうして鹿嶋でもみつかっている、そうした視点でみてみると、なんだか角内遺跡の色絵徳利も、すごいもののように思えませんか?

遺跡から出土する遺物にも、多くの歴史が隠されていることを知っていただけたら幸いです。

どきどきセンターPRESENTS-ココロオドル鹿嶋を再発見-

 鹿嶋市どきどきセンターは、鹿嶋市内の発掘調査や鹿嶋の歴史・文化を伝える事業を展開しています。全24回、鹿嶋市内の発掘調査の出土品からみえる鹿嶋の歴史や文化・食生活など紹介していきます。また、どきどきセンターの企画展や事業をお知らせします。


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