ココロオドル鹿嶋を再発見vol.9~時代が変われば形も変わる「円面硯と石製硯」~

鹿嶋市どきどきセンターby:鹿嶋市どきどきセンター

厨台遺跡群(LR18)出土円面硯(SB113)

 「文房四宝」という言葉を聞いたことがありますか?

 これはもともと中国の言葉で、文房(読書や執筆などを行うための部屋)において重要な4つの道具について表した熟語です。四宝とは「墨・筆・硯・紙」のことを指し、中国文人がことさら大切にした文房具を「宝」と形容して表現しています。

 日本においてこうした文房具がいつ中国から伝来したかは定かではありませんが、奈良時代に入ると律令という国家制度が整い、役所での様々な記録や報告を作成するために文房具が使用されたことは確実です。

 こうした古代の文房具は鹿嶋市内でも出土が確認されており、厨台遺跡群(LR18)では奈良時代の竪穴建物跡から「円面硯(上記写真)」という硯が出土しています。

厨台遺跡群(LR18)SB113

 厨台遺跡群から出土した円面硯は須恵器製で、「圏足円面硯」という台が付いた丸い硯で、台の部分には「十」字状の孔が施されています。また、同資料は須恵器製で墨をする丘と呼ばれる箇所の摩耗が著しく、実際の使用が窺われるものです。

 円面硯が出土する遺跡の多くは宮都や官衙(古代の役所関連施設)、またはそれに関係する集落遺跡からの出土が多く、役人あるいはそれに類する人の使用物であることが推測されています。円面硯が厨台遺跡群から出土したことから、遺跡周辺に古代の鹿島郡を管理する人々が住んでいたことが想定されます。

 また、鹿島郡の場合は「神郡」という全国で8か所しかない特別な郡で、郡内の経営は鹿島神宮の宮司層と同族が行うという、神宮と不可分な関係の郡でありました。この宮司層とは中臣氏・大中臣氏という氏族であり、彼らの姓である「中臣」という文字が書かれた墨書土器も厨台遺跡群から見つかっているため、神宮に関係した人々の集落とも考えられています。

 以上のことから、厨台遺跡群から出土した円面硯の使用者は神宮に関係した人物である可能性も考えられます。

厨台遺跡群(LR18)SB113

 さて、厨台遺跡群(LR18)では円面硯とは別の形態の硯も出土しています。これは中世の土坑(SK137A)から出土した石製の硯で、左の資料は長さ11.5㎝、幅7.8㎝、右の資料は長さ6.6㎝、幅4.7㎝を測るものです。古代の硯は須恵器製、すなわち粘土を捏ねて作った焼き物ですが、こちらは石製ということで材質が異なります。また形態をみても、古代の硯は円形でしたが、中世になると長方形で硯面が奥側から手前側に向かって徐々に上昇する傾斜がつけられるようになっており、現代の硯とほとんど形態的に差異がありません。

 時代の変化によって、土器など人々が使用する什器はすべて変化していきます。それは硯をとっても同様で、時代の移り変わりに伴って識字層が増加し、硯としての使用性や利便性に適った形態へと移り変わったと言えます。形の移り変わりからは、それを使った人々の移り変わりを窺い知ることができるのです。

厨台遺跡群(LR18)調査区空撮(写真下が北方向)

 なお、この硯が出土した厨台遺跡群(LR18)は1992年度に調査した遺跡で、鹿島神宮駅北東側に位置する台地部分が調査地点です。現在は住宅街が形成され、かつての面影は残っていませんが、ここには多くの建物跡とそこに生きた人々の痕跡が残っており、こうした歴史がいまも周辺地域の地下には残されています。鹿嶋市内はこうした古代のロマンが至る所に遺された歴史豊かな地域です。

 ぜひ、歴史探訪に街歩きをしてみてはいかがでしょう。新しい発見があるかもしれませんよ。

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