ココロオドル鹿嶋を再発見vol.18~災いなきよう、地鎮しましょう~

鹿嶋市どきどきセンターby:鹿嶋市どきどきセンター

鹿島城出土輪宝土版

 上の写真は鹿島城跡で出土した輪宝土版と呼ばれるものです。

 輪宝とは、古代インドの理想の国王、転輪聖王の七宝(輪・象・馬・珠・女・居士・主兵臣)のひとつで、車輪型をした密教法具です。王が説法を行うために出かける際に、対抗する敵を回転して倒したといわれ、仏敵を倒す武器として認識されたものです。

 こうした伝説から、転じて悪いもの(仏敵)を倒すものという認識となり、日本の中世においては、地鎮祭などで使用されるようになりました。

 鹿島城跡で出土した輪宝土版は、昭和59年に堀跡から出土したもので、直径18.8㎝、厚さ1.9㎝を測ります。これまでに破片3点が出土していて、鹿島城の何らかの普請(土木工事)に関連した地鎮祭に用いられたと考えられます。

輪宝墨書土器

 また、こうした悪いものを打倒する意味の輪宝を土器の表面に描いた「輪宝墨書土器」も、堀と重複する土坑から出土しています。輪宝墨書土器も地鎮祭で用いられたと考えられ、土師質土器が合わせ口の状態で6組12点集中して出土するという、特殊な出土状況も確認されています。こうした土器の年代は16世紀から17世紀代と考えられ、輪宝土版も同じ時期と考えられます。

輪宝墨書土器出土状況

 県内の同時期の城館跡の調査結果をみると、輪宝が描かれた土器の出土例は概して少ないですが、鹿島城跡の周辺では輪宝を用いた地鎮祭が盛んであったことがわかります。また、輪宝がもともと密教法具であるという点からは、16世紀から17世紀の鹿嶋地域で密教信仰が盛んであったことも窺われます。

上空からみた鹿島城

 鹿島城は 、桓武平氏の流れを組む常陸大掾氏の一族である鹿島氏が居城にしていた城跡で、北浦に面した台地の突端部に位置しています。鹿島氏は鹿島郡域を治めた一族で、初代成幹が鹿島郡に移り住んだことに始まり、鎌倉時代に2代政幹が源頼朝によって惣追捕使に任命され、その後は惣追捕使家として鹿島神宮の社家となり、鹿島地域に勢力を築きました。

 そうした中で,鹿島氏は盤石な城を築くため、普請をする際に願いを込めて輪宝を用いた地鎮祭が行われたのでしょう。往時の鹿島氏の城跡の普請が偲ばれます。 

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 鹿嶋市どきどきセンターは、鹿嶋市内の発掘調査や鹿嶋の歴史・文化を伝える事業を展開しています。全24回、鹿嶋市内の発掘調査の出土品からみえる鹿嶋の歴史や文化・食生活など紹介していきます。また、どきどきセンターの企画展や事業をお知らせします。


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