日本の歴史時代は古墳時代から始まります。歴史時代とは、先史時代と対になる見方で、文字の利用の有無から時代を分ける考え方です。私たちも文字のお陰で他者との意思疎通や身の回りの記録など、便利な生活を送ることができています。さらに、昔の人の生活や考え方、事件などを知ることができている点でも、文字は非常に役立っています。
さて、先ほど日本の歴史時代は古墳時代からと述べましたが、当時の文字はどのように使われたのでしょうか。古代の紙はまだまだ珍しく、もろいため現在まで残るケースは特殊なケースを除きありません。しかし、鉄製品や石、木簡、土器などに刻んだり、墨で書いたりした痕跡が見つかっています。
鹿嶋では古墳時代の後の時代、古代(主に平安時代)に営まれた神野向遺跡や厨台遺跡群、大門遺跡などから多くの墨書土器が見つかっています。特に神野向遺跡は古代鹿島郡の役所があった遺跡であり、「鹿嶋郡厨」「鹿厨」といった鹿島郡家の台所にかかわる文字や「女」「倉人」「介」など役人やその周辺に係る人々を表すとみられる墨書土器が多量に見つかっています。他にも「神宮」など神郡に関するとみられる土器も見つかっていることが特徴です。郡家には行政事務を行う施設のほか、税の管理をする倉庫群や働く役人の給食、他所からの来賓対応のための台所なども置かれていたとみられます。土器に記された文字は配膳や管理する部署を示したものだったのでしょうか。ほかにも墨書土器はその遺跡に住んだ人物の詳細も提供してくれます。厨台遺跡群からは「中臣宅成」や「鹿嶋郷長」、「司」などが見つかっており古代の有力氏族の中臣氏が厨台地区に住んでいたこと、厨台地域が古代鹿島郡の鹿嶋郷に当たることもわかってきました。


このように、鹿嶋の古代史を考えるうえで墨書土器は非常に有効な資料になります。しかし 、土器に描かれるのは文字だけではありません。土器の小皿に人物の顔や、文字のような模様が描かれるものがあります。用途の詳細は不明ですが、何かのまじないやお祀りに使用されたものと見られます。当時の人々がどのような意図で描いたのか、非常に気になりますね。

~鹿嶋市どきどきセンター公式YouTubeチャンネル~
鹿嶋市どきどきセンターを紹介するYouTubeチャンネル「鹿嶋市どきどきチャンネル」を開設しました。
公式マスコットの”くりやっほー”と一緒に分かりやすく説明をしておりますので、ご視聴及びチャンネル登録をお願いいたします。
※公式YouTubeチャンネルURL:https://youtube.com/channel/UCLTOUmx6Sto1y1X8mfFC4TA?si=sf0XZpOOQY3yf1Xc
