ココロオドル鹿嶋を再発見vol.6~男も耳飾り?~

鹿嶋市どきどきセンターby:鹿嶋市どきどきセンター

 金色や銀色に光る環は、宮中野古墳群の一つである大塚古墳の死者を埋葬する施設(主体部)から見つかった耳環(じかん)と呼ばれる耳飾りです。耳環とは、古墳時代後期に造られた環状の金属製耳飾り(イヤリング)です。金・銀・銅製のもの、銅・青銅・鉄の表面に金や銀を鍍金(メッキ)したものや、薄い金・銀板を巻いて製作したものなど様々な種類があります。

大塚古墳の主体部

 主体部には遺体のほかに死者の身のまわりの品が納められています。これは「副葬品」と呼ばれ死者の衣服や装飾品、死者を守るための武器や鏡などです。耳飾りは装飾品の一つで、当時金メッキの高い技術があったことがわかります。

 大塚古墳では、この耳環以外にも、馬具類、銀製の弓飾りや銀象嵌のある刀などの武器類と貴重なものが多く出土しています。

 大塚古墳は上から見た形が帆立貝のように見える古墳で、全長約90m、高さ約7m、周溝を含めると全長約120mで、帆立貝式古墳としては群馬県の女体山古墳に次いで東日本で2番目に大きい古墳です。

宮中野古墳群大塚古墳実測図(黄色が主体部位置)

 墳丘は三段に築造されていて、埋葬施設は前方部に確認されています。古墳を囲む溝から埋葬施設までは墓道が造られていました。奧には横口式石槨とよばれる埋葬する石室が見つかり、朱塗りの石棺材が残されていましたが、副葬品も含めて大半が盗掘などにより破壊されていました。もちろん遺体もわからなくなっていて、大塚古墳のあるじは男性か女性かわかりません。

 しかし、古墳の大きさからみても鹿嶋周辺では最も位の高い人が埋葬されていた可能性があります。副葬品から7世紀前半(飛鳥時代)の古墳と考えられています。

 この時期の集落遺跡の調査でも耳環は出土することがあります。鹿嶋市中地区の道高遺跡では、大塚古墳から出土した耳環と同様の耳環が大型の竪穴住居跡から見つかっています。出土数からみて、現代に置き換えると村長さんクラス以上の方でなければ、耳環は持つことができなかったと考えられます。

どきどきセンターPRESENTS-ココロオドル鹿嶋を再発見-

 鹿嶋市どきどきセンターは、鹿嶋市内の発掘調査や鹿嶋の歴史・文化を伝える事業を展開しています。今回より全24回、鹿嶋市内の発掘調査の出土品からみえる鹿嶋の歴史や文化・食生活など紹介していきます。また、どきどきセンターの企画展や事業をお知らせします。


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