かしまの遺跡いってみた!vol.6「湖岸水田遺跡」

アバターby:鹿行ナビ

鹿嶋市の西側、北浦の沿岸には美しい水田が広がっています。今回は北浦沿岸に広がる湖岸水田遺跡を紹介します。水田の中を走る国道51号鹿嶋バイパス、右手に鹿島城跡、左手に宮中野古墳群、奥には厨台遺跡群が見えます。

※国道51号バイパス付近の写真

この道路はかつて、水田でしたが、この水田の下には部分的に古墳時代後期の水田面、中世~近世の水田面が残っていました。

古墳時代後期の水田面(湖岸水田遺跡宮中地区、51号バイパス建設前の調査)
中・近世の水田面(湖岸水田遺跡宮中地区、51号バイパス建設前の調査)

古墳時代後期の水田耕作土や畦畔からは石製模造品(剣形・勾玉形・有孔円板)が見つかっています。

出土した石製模造品(勾玉形)
 (湖岸水田遺跡宮中地区、51号バイパス建設前の調査)

平成4年度の国道51号バイパス建設に伴う調査では古墳時代の水田面が2面見つかっています。上面の確認面では62枚の水田が見つかり、水田1枚の面積は1~4.6㎡と2~2.7㎡程度ものが多くみられます。下面の確認面では、水田の面積は更に小さく1.2~7㎡で、平均2㎡以下の小規模な水田が整然と区画されています。水田と水田の間には畦畔があり、そこから多くの石製模造品などの祭祀遺物が見つかっているので、豊穣を祈るまつりが行われたのかもしれません。

宮中条里遺跡大船津地区の空撮(奥は鹿島城跡)

ここからは、石製模造品、手捏ね土器、土師器の甕などが出土しており、古墳時代中期の祭祀跡と考えられています。石製模造品と共に特に点数が多く見つかったのは臼玉と呼ばれるビーズのようなもので、525点を数えます。模造品と同じ滑石で作られています。

古墳時代中期の土器が検出された流路跡(宮中条里遺跡大船津地区

北浦沿岸の平野には幅0.5~1kmの湖岸平野が形成されています。湖岸平野は上下2段の段丘面(Ⅰ面・Ⅱ面)があり、Ⅰ面の標高は4~6mで、Ⅰ面上面には砂洲が広がっています。
Ⅱ面の標高は1.5~2mで湖岸線に並行して広がっています。このⅡ面の砂洲は発達しており、古代から水田が広がり条里が形成されていたと考えられます。
国道51号バイパス建設に伴う発掘調査において、古代からの水田面の検出は貴重な成果であり、県内でも稀有な資料です。
北浦は度重なる氾濫洪水によって、水田経営は大変なものだったと思われます。見慣れた水田ではありますが、開発から始まり、幾度も整地をし、畦畔を整え、豊穣を祈りながら稲作を行っていた悠久の歴史に思いを馳せると、郷土に誇りを感じます。


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