ココロオドル鹿嶋を再発見vol.21~鹿島に剣聖あり、塚原館跡から小刀発見~

鹿嶋市どきどきセンターby:鹿嶋市どきどきセンター

 この小刀は今からおよそ500年前のもので、長さが26cm、幅3.1cmあり、全体が錆びています。塚原ト伝で有名な塚原氏が居城したと推定される館跡主郭の土坑の中から見つかりました。

鉄製品小刀

 土坑は方形の粘土貼土坑です。規模は2.78m×2.20m、遺構確認面から底面までの深さが0.74mで、断面形は箱形で水槽状でした。土坑の底や壁には5~15㎝の厚さに白色粘土が貼られていて、その中には焼土粒・炭化粒を微量に含む褐色土層が堆積していました。

 この土坑からは小刀以外に土師質土器皿類片、常滑片口鉢片が出土しています。この土坑が何に使われていたのか、はっきりとしたことはわかりませんが、県内の検出例のなかでは、規模からみると最大級であり、その性格について当初は、土坑墓であることを想定しました。しかしこれまで検出された例からみて土坑墓ではなく水溜あるいは貯蔵穴であると考えられています。この館跡主郭からは、他にも粘土貼土坑が見つかっています。

塚原館跡主郭から見つかった白色粘土を貼った土坑

 粘土貼土坑について、形状は違いますが、潮来市の堀之内大台城跡でも4基検出されています。堀之内大台城跡は佐竹氏の重臣小貫頼(おぬきより)(ひさ)が1596年頃に築城した城です。報告書によると貯水的な機能を上げており、役割を確定することは難しいですが、台地上で粘土を貼った土坑が必要な施設となると、貯蔵か貯水の土坑と考えられるそうです。

主郭から見つかった陶磁器や銭貨

 また、主郭からは古瀬戸の()り鉢・大皿・深皿・瓶子類、常滑の甕・柱の飾り金具や土師質土器皿・小皿(かわらけ)、銭貨が見つかりました。時期は概ね15世紀後半以降と考えられます。

 塚原館跡は、鹿嶋市大字沼尾に位置し、中世常陸大掾氏の庶氏家である鹿島氏の配下塚原氏が居城したと推定される中世の城跡です。

 昭和47年(1972)に町史編纂事業で塚原地区根山の踏査が実施され、山中に土塁や堀が確認されたことから塚原氏の城跡と推定されました。平成21年度から調査事業を進め、主郭・二ノ郭・三ノ郭、外郭施設を調査し、土塁や空堀などの大規模な土木工事の痕跡を確認し、城郭全体の姿を検討することができました。

塚原館跡主郭と平場を区画する堀の状況

 そして、3か年の確認調査で、塚原館跡が鹿島氏の配下である塚原土佐守の館跡と確定する遺構や遺物は検出していないものの、確認された遺構や遺物の時期は、15世紀後半ばから16世紀後半であり、少なくとも卜伝が塚原土佐守の元に養子に入った時期、2回目の武者修行から帰国して卜伝入道と名乗り、城の経営に当たっていた時期と重なることがわかりました。

北浦沿岸に分布する鹿島氏と庶子の分布図

 鹿嶋市内にある中世の城郭跡は一部の城を除き大半は北浦に面した台地の上に築かれた、自然の要害とも言える平山城です。塚原館跡も含めこれらの城は常陸大掾氏一族の庶子鹿島氏の配下の支城と考えられています。

 中世城郭から北浦を眺めると、当時の城主に思いを馳せることができます。

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 鹿嶋市どきどきセンターは、鹿嶋市内の発掘調査や鹿嶋の歴史・文化を伝える事業を展開しています。全24回、鹿嶋市内の発掘調査の出土品からみえる鹿嶋の歴史や文化・食生活など紹介していきます。また、どきどきセンターの企画展や事業をお知らせします。


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