ココロオドル鹿嶋を再発見vol.14~幻の寺~

鹿嶋市どきどきセンターby:鹿嶋市どきどきセンター

 奈良時代になると、伊勢神宮と伊勢神宮寺、宇佐八幡宮と八幡宮寺などのように、大きな神社に付属する神宮寺と呼ばれるお寺が全国で42ヵ所建立されました。鹿島郡内にも、鹿島神宮に付属する「鹿島神宮寺」が建立されました。

 鹿島神宮寺は、初め鉢形の地に造られました。天安3年(859)の太政官符では、「己丑修行僧満願神宮寺を創建す。初め満願鹿嶋に至り発願して一寺を創らむとす。宮司従五位下中臣鹿嶋連大宗及び大領中臣連千徳等これに帰依し力を合わせ寺を建る。満願困りて大般若経全部六〇〇巻を書写し又仏像を図畫して寺に蔵す。住時すること八年」とあり、箱根足柄出身の僧満願と鹿島神宮宮司中臣鹿嶋連大宗・鹿島郡の郡司中臣連千徳によって創建されたことがわかります。

 鉢形に造られた神宮寺ですが、嘉保元年(1094)の落雷により焼失してしまいました。その後再建されましたが、建久2年(1191)に大風によって大破してしまい、これを機に神宮寺は鹿島神宮境内、今の鹿園のあたりに遷されます。そして神仏分離により延宝5年(1677)に鹿島城近くに移設され、最後は天狗党の乱により焼失し、明治3年(1870)に廃寺となりました。

 鉢形神宮寺は幻の寺と言われていましたが、昭和48年に土砂採掘現場で多量の焼土と土師器・須恵器、2列の塼列、礎石などが発見され、翌年発掘調査が実施されその場所が明らかになりました。この多量の塼は、地面に整然と並べられ、土留めや雨落ちとして使用されたと考えられます。

 塼とは、瓦と同じように粘土を型に入れ、窯で焼いて作られたものです。大きさは、長さ約25~29cm、幅約20cm、厚さ約6.5㎝で、煉瓦のように並べて使用していたと思われます。鹿島神宮寺のものは無文ですが、側面に模様があるものなどが見つかる地域もあります。

鉢形神宮寺出土塼

 鉢形神宮寺から北西1㎞ほどの場所にある中山遺跡からは、神宮寺と同様の塼が竪穴住居跡からカマドの袖構築材として出土しています。これは、神宮寺では使用しなかった、もしくは使用することがなくなった塼を運び込みカマドの構築材として利用したものと考えられます。また、中山遺跡では、緑釉陶器の華瓶や仏鉢などの仏具が見つかっており、神宮寺と深い関係にあったことがうかがえます。

中山遺跡出土華瓶

 鹿嶋市内で古代の仏教を感じられる遺跡としては他に、平井の高尾崎遺跡や林の小林遺跡があります。高尾崎遺跡では、積土状遺構・掘立柱建物跡が検出され、瓦が数点出土していることから仏堂施設などの存在が考えられています。小林遺跡では、瓦塔という仏塔をミニチュア大で表現した焼き物の破片が見つかっています。こちらも仏堂施設の存在がうかがえる資料です。

 また、鉢形神宮寺近くの神宮寺経塚からは、経典を入れていた経筒や小金銅仏、鹿島神宮内からは、経筒などが見つかっています。

小林遺跡出土瓦塔破片

 このように鹿嶋市内の古代の遺跡からは、仏教に関係する遺構や遺物が見つかっています。古代の人々が仏教を篤く信仰していたことがうかがえます。

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 鹿嶋市どきどきセンターは、鹿嶋市内の発掘調査や鹿嶋の歴史・文化を伝える事業を展開しています。全24回、鹿嶋市内の発掘調査の出土品からみえる鹿嶋の歴史や文化・食生活など紹介していきます。また、どきどきセンターの企画展や事業をお知らせします。


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