かしまの遺跡いってみた!vol.9「古代のムラがみつかった!?鹿嶋市佐田の屋敷廻り遺跡」

アバターby:鹿行ナビ

 鹿嶋市佐田では、12月21日に新しい道路が開通になりました!鹿島神宮駅方面から宮中大橋を通った先で行きつく場所です。
 この道は国道124号線に接続する道路で、鹿嶋市厨の方から佐田までの幹線道路です。この道路工事の計画が本格的に動き出した際、この計画予定地が屋敷廻り遺跡の範囲と重なることがわかりました。道路を建設する上では大規模に地下の遺跡を壊してしまいます。そのため、「記録保存」という方法で遺跡を保存しようということになりました。
 記録保存とは、開発等で遺跡がやむを得ない状況で壊されてしまうことになった際、発掘調査等を行って十分な記録を取って後世に情報を残すことで保存するという方法です。こうした方針のもと、鹿嶋市どきどきセンターでは、茨城県潮来土木事務所より依頼を受け道路範囲の発掘調査を行いました。

 上の写真は、調査前の現場の写真です。畑と雑木林が広がる一体でしたが、掘っていくと下の写真のような竪穴建物跡が70軒以上出土しました。北・西側の壁には煮炊きのための施設であるカマドが作り付けられており土師器や須恵器が出土したため、おおよそ奈良・平安時代の集落の跡であろうと判断しました。

 調査が進みほとんどの遺構を掘り切った段階で、調査区全体の写真を撮ります。上の写真は東側縁辺の調査区の全景写真です。奥に見える煙突は日本製鉄株式会社東日本製鉄所鹿島地区の工場。この写真は東の方向を撮影した写真で、現在は台地が削平されて道路になっている箇所です。前の写真と比べるとずいぶん伐採されてひらけている状況がお分かりいただけると思います。この後、出土している遺構を測量するなど記録の作業を行って、発掘は終了となります。

 屋敷廻り遺跡は道路をつくるための発掘調査でしたので、調査が終了した後には道路の工事が開始され、予定地は大規模に土地が改変されて遺跡周辺の風景が大きく変わってしまいました。
 同箇所の道路は12月21日(水)に開通し、現在は上の写真で見るとおり古代の面影を感じることはできません。しかし、この場所には古代のムラが存在しており、多くの人の営みが遺されていたこと、佐田には多くの歴史が遺っていることを皆様に知っていただけたら幸いです。


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