「平安時代の鹿島」6回目は、製鉄遺跡について取り上げます。
現在の鹿嶋市は大きな製鉄所があることでも有名ですが、古代の鹿島でも製鉄は行われていました。
『常陸国風土記』という、常陸国の風土や歴史などが描かれた文献にも、その姿が描かれています。その部分を引用します。
慶雲元年、国司婇女朝臣、鍛佐備大麻呂等を率て、若松浜の鉄を採りて、剣を造りき。
慶雲元年=西暦702年。国司の婇女朝臣(うねめのあそん)が、鍛冶師の佐備大麻呂(さびのおおまろ)らを率いて若松浜の鉄を採取し、剣を造ったという描写です。7世紀末には鍛冶工房が作られ、鉄製品の生産が行われたのです。
鹿嶋市佐田にある春内遺跡では、鉄の精錬および鍛錬を行った大規模な連房式竪穴工房跡を含めて22基の鍛冶炉が検出されています。 連房式竪穴工房跡とはその名の通り、竪穴を掘って作られた鍛冶工房が連なってできたものです。春内遺跡では、4基の鍛冶炉が配置された工房が5つ連なった長さ29.4mの長大なものが見つかっています。年代は7世紀後半と推定され、『常陸国風土記』に記述された年代にも近いのです。
この写真は、春内遺跡で出土した羽口のひとつです。羽口とは、製鉄炉に空気を送り込むフイゴの先端部分・送風口に取り付けるものです。写真手前が炉に取り付けられる側で、黒く焦げて、溶けた鉄が付着しています。
羽口は貴重な遺物であり、春内遺跡では少なくとも72個以上見つかっています。大部分が欠損した状態で、またほとんどは連房式竪穴工房跡から見つかっています。
他の遺物としては台石、鉄滓、鍛造剥片、砥石、鉄鏃などが挙げられます。
もちろん、鹿嶋では平安時代の製鉄遺跡も見つかっています。春内遺跡のほど近く、鹿嶋市木滝にある比屋久内(びやくうち)遺跡です。砂鉄と木炭から鉄を製錬するための半地下式製鉄炉や炭焼き窯が確認されています。炉の周辺から出土した遺物から、9世紀後半から10世紀の遺跡と推定されています。
比屋久内遺跡は深い谷地形の中にあり、火を起こすのに適した地形です。谷から吹き上げる風を活かした製鉄遺跡と考えられています。周辺には木滝富士山遺跡や石橋遺跡といった製鉄遺跡とされる遺構も多く、広範囲にわたって製鉄が行われていた地域です。
これら遺跡で製錬から鍛錬鍛冶が行われ、つくられた鉄製品が鹿島郡の役所などで活用されたのでしょうか。また、先述の鉄鏃は、狩猟のほか人間同士の争いなど、様々な用途が考えられます。平安時代の鹿島は、当時の朝廷の東北経営の最前線。日本の中でも特殊な地域だったのではないでしょうか。
発達した技術は人々の暮らしを変え、その様子が現代にも伝わります。平安の鹿島を支え、また平安の鹿島を読み解くカギとなるものが製鉄遺跡なのです。
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