平安時代の鹿島、7回目は銅鈴です。
この鈴は名前の通り銅を加工して作られています。市内では現在2点の銅鈴が確認されています。鈴など音を鳴らすための道具の歴史はとても古く、縄文時代には土鈴が確認されています。今回紹介するのは、鹿嶋市厨台遺跡群片野地区から見つかった銅鈴です。時期は不明ですが、奈良・平安時代を中心とした集落遺跡の付近から見つかっており、近い時期のものと想定されます。この鈴は溶かした銅を鋳型に流して作っており、非常に涼やかな音が出ます。
現代では神社などの祭祀具や縁起物のイメージのある鈴ですが、古代の鈴がどのような目的で作られ、使われたのか詳細は不明です。しかし、馬形埴輪の馬具装飾や男子の埴輪で鈴を身に着けた表現をもつものがあり、古墳時代には決して祭祀だけに使用されたわけではないようです。
それでは今回のテーマになる平安時代の銅鈴(あるいは金属製の鈴)はどうだったのでしょうか。鹿嶋に近いところで、千葉県と埼玉県の金属鈴の出土事例を見ていくと、寺院・官衙やその故地、またはこれらに関連する集落からの出土事例が多いようです。特に遺跡内の限られた竪穴建物で見つかり、古墳時代のように身に着ける道具としてではなく、住居を建てる際の地鎮具や、建物を廃棄する際のなんらかの儀礼に用いられた可能性が指摘されています。
鹿嶋で銅鈴の見つかっている厨台遺跡群は、郡家との関係が指摘され続けている集落です。この鈴は詳細な出土状況は不明ですが平安時代の竪穴建物跡(SB255)、あるいはそれと重複する掘立柱建物跡(SB542)から出土しており、先に触れた千葉県・埼玉県の例を引用すれば、地鎮具としての利用が考えられます。
さらに、現在調査を行っている鹿嶋市の豊郷台地区大門遺跡の発掘調査では、土坑から8世紀のものとみられる須恵器坏と一緒に銅鈴が見つかりました。この大門遺跡の範囲は、鹿嶋の神野向遺跡に郡家が移る前の旧郡家の所在地と想定されています。銅鈴の見つかった土坑の周辺には、古墳時代から平安時代までの住居が多く見つかっています。建物を建てる際、特別に使用したのでしょうか。
今回紹介した厨台遺跡群の銅鈴、実は音を鳴らした動画があります。ぜひ古代の鈴の音を聞いてください。https://x.com/kashima_doki/status/1275713199648768001 【鹿嶋市どきどきセンター X(旧Twitter)】
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