平安時代の鹿島⑨ 銅印

アバターby:鹿行ナビ

 「平安時代の鹿島」第9回は銅印、銅製のハンコを取り上げます。

 皆さんの中には、お仕事でハンコを使う方も多いでしょう。様々な領域でデジタル化が急速に進む昨今でも重要な役割を果たし続けるハンコ。その歴史は古く、日本で発見されたもので最古とされる「漢委奴国王」の金印は国宝にも指定されています。『後漢書』東夷伝を根拠にすれば、これが後漢の光武帝から日本に授けられたのは西暦57年! 日本の歴史の中では弥生時代とされる時期です。
 その後、律令制度が整備される中で印章の制度が制定され、日本でも公印が役所などで用いられるようになりました。天皇の御印章である内印「天皇御璽(てんのうぎょじ)」、役人などが用いる「太政官印」「内侍之印」などです。「天皇御璽」は方三寸(約9cm角)、「太政官印」は方二寸半(約7.5cm角)など、これらは印面のサイズが令文で規定されており、格の高い印ほど大きかったと言えます。

 平安時代には、貴族などが使用する私印が登場するようになります。鹿嶋でも、「申田宅印」と記された銅印が鹿島神宮に残っています。高さは4.4cm、幅3.9cm。郡で使われた郡印(約4.7cm角)よりも小柄です。
 この印文の意味は定かではありませんが、申田は神田を指し、神官の私印なのではないかとする説もあります。中世~近世には、「神璽(しんじ)」と称されて神官の任符状などに押印されたケースもあるようです。

 また、鹿嶋で出土した銅印として、鹿島郡家跡の「福」の印が挙げられます。印面は幅3.3cmの方形で、高さは3.7cm。やはり小型の印です。性格は不明ですが、私印であったかもしれません。
 この印の出土した郡家跡の厨家推定域からは「厨」と記されたものなど、墨書土器も多く見つかっています。その中でこの「福」の印は誰のどのような仕事に用いられたのでしょうか。平安時代の鹿島を考える上で、とても貴重な遺物です。

 今回紹介した「申田宅印」の銅印の複製品と「福」の銅印がどきどきセンターに展示されています。ぜひご覧ください。

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