かしまの遺跡いってみた!Vol.12「高尾崎遺跡」

アバターby:鹿行ナビ

鹿嶋市平井に総合福祉センターがあります。心身障害者福祉センターや老人福祉センター、シルバーワークプラザ、シルバー人材センターが入っている施設です。

総合福祉センター入口の写真

この施設が造られる前、昭和52年に高尾崎遺跡発掘調査会によって発掘調査が行われています。当時の写真を見ると、現在の様子からは想像ができない遺跡といえるでしょう。
高尾崎遺跡は、現在の海岸線から西へ約l.6Kmの位置にあり、標高約34mの台地上にあり、この遺跡の特色は砂丘下に存在した遺跡で砂層が2~5 m程堆積していた特異な遺跡です。
報告書によると、この遺跡を覆う砂丘は、海岸線に平行に延びる洪堤を核とした新期砂丘に対して、清水・明石付近の洪積台地東縁に載る砂丘や鹿島神宮、三笠山東方の高天原から平井丘(高尾崎遺跡付近)、粟生・国未の山王台と続くローム台地の縁辺上を風成の砂層で被覆する砂丘で、高天原では海抜40.6mに達していますが、実際の砂層の厚さは4~5 mにすぎず、 これらの台地の基盤は洪積台地で海岸から吹き上げられた分級の進んだ細砂の堆積による見かけの砂丘であり、高尾崎遺跡もこれらの見かけの砂丘下に存在する遺跡です。

高尾崎遺跡の遺構写真

そして砂丘下の遺構は、保存状態も、きわめて良く、堅穴住居址5軒、掘立柱遺構約10棟、積土状遺構(基壇状の遺構)1基が発見されました。こうした基壇状遺構は、基本的に寺などの建物を造営する際に行われる基礎工事で構築されるものです。また寺という意見と外海に対しての見張り台のような施設という意見があります。いずれにしても、鹿島灘を見下ろす台地上という絶好のロケーションに建っていたことは間違いないでしょう。出土した土器を見ると8世紀後半から10 世紀代の土師器・須恵器が出土していることから、鉢形神宮寺址との関係性がある重要な遺跡と考えられています。

高尾崎遺跡出土の土器写真
平成26年度道路建設の際の試掘状況写真


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