ココロオドル鹿嶋を再発見vol.4~グルメな縄文人~

鹿嶋市どきどきセンターby:鹿嶋市どきどきセンター

 縄文時代の人々は、狩猟・採集によって食料を調達していました。そして食べた後の貝殻や骨などを一か所にまとめて捨て、それらが積もって層になったものが貝塚です。関東地方の土壌は酸性であるためほとんどの有機物は地中で時間が経つと溶けてなくなってしまいます。しかしそこに貝殻が多く入ると、貝殻のカルシウムが溶け出し、土の性質を中和するので貝類や動物の骨、魚の骨が残るようになります。貝塚に残っている貝や骨を調べることで、当時の自然環境や人々がどのようなものを食べていたのかを知ることができます。

神野遺跡の貝層検出状況

 現代でも旬の食材があるように、春は山菜や貝、夏は魚、秋は木の実、冬は動物など縄文人も季節ごとに違うものを食べていたと考えられます。また、日干しや燻製にするなど保存食も作っていました。

 鹿嶋市宮中にある神野遺跡では、縄文時代後期~晩期に堆積した貝塚が見つかりました。貝類は、ハマグリ・バカガイ・シオフキガイ・サルボウ・オキシジミ・アサリ・イタボガキ・アカニシなどいろいろな種類が見つかりました。また、クロダイ・スズキ・フグ類などの魚類、イノシシやニホンジカなどの動物の骨も見つかっています。

神野遺跡出土貝類
神野遺跡出土動物類、魚類

 それらの食材はどのようにして食べていたのでしょう。採取した食料は、そのまま食べることのできるものもありますが、調理をして火を通さないと食べることができないものもあります。主な調理方法は、煮る・焼くでした。

 煮る方法は、炉に火を起こし、そこに水を入れた土器を据えて煮立たせる方法と、石を火の中に入れて熱し、それを水と具が入った土器に入れて瞬間的に沸騰させる方法があります。炉とは、現代のコンロになります。縄文人の住まいである竪穴住居の中にあり、床面を少し窪めただけの地床炉、石で周りを囲む石囲炉、大きな土器の底を壊して口縁の部分だけを据える土器囲い炉などの種類があります。

縄文時代の住居

 焼く方法は、鮎の塩焼きのように竹などで作った串に食材を刺して、火で炙る方法や炉の上に大きな石を置いて熱し、そこに材料を乗せてバーベキューのように焼く方法などがあります。

 他にも、葉っぱに包んで蒸したり、燻して燻製にしたり、木の実を根類と混ぜ合わせてクッキーを作ったり、調味料に海水から塩を作ったりと、縄文時代の人々も食材を美味しく食べる工夫をしていたのでしょう。

どきどきセンターPRESENTS-ココロオドル鹿嶋を再発見-

 鹿嶋市どきどきセンターは、鹿嶋市内の発掘調査や鹿嶋の歴史・文化を伝える事業を展開しています。今回より全24回、鹿嶋市内の発掘調査の出土品からみえる鹿嶋の歴史や文化・食生活など紹介していきます。また、どきどきセンターの企画展や事業をお知らせします。


新着記事一覧ヘ