ココロオドル鹿嶋を再発見vol.13~豪華な屋根~

鹿嶋市どきどきセンターby:鹿嶋市どきどきセンター

 家の屋根をまじまじと見たことがありますか。瓦、スレート、銅板、トタンなどいろいろありますが、屋根瓦は近年減ってきたように感じられます。今回は、粘土を焼いて作った瓦について紹介していきます。

 瓦の技術が日本に伝わったのは、仏教が伝来したのと同時に百済から伝わったといわれています。『日本書紀』や『元興寺伽藍縁起幷流記資材帳』には、587年の法隆寺造営に際し、百済から派遣された技術集団の中に瓦博士4名が含まれていました。この瓦博士は、瓦に関する知識や技術を持っていた人達だと考えられます。

 こうして日本へもたらされた瓦ですが、古代では、瓦を葺く建物は役所か寺院しかありませんでした。なぜかというと、瓦を造る技術は当時ではとても高く、瓦工人と呼ばれる技術集団の力が必要でした。

 鹿嶋市で奈良時代の瓦が出土した遺跡は、鹿島郡家跡と鉢形神宮寺跡の二か所です。

 鹿島郡家跡(神野向遺跡)は、国指定史跡鹿島神宮境内附郡家跡の一つで、古代の鹿島郡の役所跡になります。約73,600㎡の範囲が指定されており、大きく政庁域と正倉域に分けられます。政庁域は、主に役人が政務を行う場所、正倉域は、税として納められた米などを保管する倉庫が立ち並ぶ場所です。鹿島郡家跡は昭和55年から調査が行われており、正倉は3時期に分けられることがわかりました。瓦が葺かれていたと思われる建物は第2期の倉庫と考えられ、正倉域のほぼ中央に位置している最も大きな倉に葺かれていたと思われます。しかし、出土した点数が少なく、屋根全体を瓦が覆っていたかは定かではありません。

鹿島郡家跡正倉域遺構配置図

 鹿島郡家跡から見つかっている瓦の種類は、軒丸瓦(鐙瓦)、丸瓦(男瓦)、平瓦(女瓦)になります。古代の屋根瓦は、軒先に軒丸瓦と軒平瓦(宇瓦)がセットで葺かれることが多いのですが、鹿島郡家跡からは軒平瓦は見つかっていません。おそらく平瓦を重ね代用していたのではないかと考えられます。

屋根に葺かれた瓦模式図

 鉢形神宮寺跡は、749年に僧満願と鹿島神宮宮司中臣鹿嶋連大宗と鹿島郡の郡司中臣連千徳によって創建されたとされる寺院です。鉢形に所在していましたが、土砂採掘により煙滅してしまいました。昭和49年の調査により、数点の瓦や大量の塼が見つかりました。伽藍配置や建物の規模ははっきりしておらず、瓦がどの建物に葺かれていたのかはわかっていません。

鉢形神宮寺跡出土平瓦(女瓦)

 鹿嶋市内で瓦が見つかっている遺跡は主にこの2ヵ所です。しかし、建物に瓦が葺かれていたということは、その瓦を製作した窯が存在していたはずです。今のところ鹿嶋市内から瓦を生産していた窯は発見されていませんが、今後の調査により生産地が特定されるかもしれません。

どきどきセンターPRESENTS-ココロオドル鹿嶋を再発見-

 鹿嶋市どきどきセンターは、鹿嶋市内の発掘調査や鹿嶋の歴史・文化を伝える事業を展開しています。全24回、鹿嶋市内の発掘調査の出土品からみえる鹿嶋の歴史や文化・食生活など紹介していきます。また、どきどきセンターの企画展や事業をお知らせします。 


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