かしまの遺跡いってみた!vol.8「みつかった風土記時代の鍛冶工房」

アバターby:鹿行ナビ

春内遺跡出土の連房式鍛冶工房跡

鹿嶋市といえば、なんといっても鉄づくりの街というイメージがあるのではないでしょうか。今から約50年前の旧鹿島町に住友金属が工場を置いたことから始まるこのイメージは、現在でも鹿嶋市民の多くが、関係する仕事についておられます。しかし、実は鹿嶋地域が1300年前から鉄づくりが盛んな街であったことを知っている方は少ないのではないでしょうか。奈良時代の頃の鍛冶工房が見つかっていて、全国的にも長い鉄生産の歴史がわかっている地域です! 上の写真は、鹿嶋市佐田の春内遺跡から出土した連房式鍛冶工房跡です。長軸約29.4m、短軸約5.5mの平面形態で浅く掘り込まれた竪穴状の遺構で、遺構内に計22基の鍛冶炉が整然と、並びでつくり付けられていたことが判明しています。

羽口とフイゴ

鍛冶炉には羽口と呼ばれる粘土で作られた送風菅が差し込まれ、フイゴという送風装置で炉内に風を送って温度を高めていました。鉄づくりは、鉄の原料となる砂鉄を炉内で木炭を用いて溶かし、不純物を取り除いて鉄の純度が高くなるように抽出していきます。その後、製品が作れる程度の純度まで高めていく作業を行います。ここまでがおおむね「製鉄」の工程です。その後、純度が高まった鉄を再度溶かして鋳型に流し込む鋳造や、熱した鉄をハンマーで叩き伸ばす鍛造の作業を行い、製品を作っていきます。これが鍛冶の工程です。

鹿嶋市内では、製鉄炉は鹿嶋市木滝の比屋久内遺跡で9世紀以降の遺構がみつかっています。他方、鍛冶の痕跡は多くの遺跡で見つかっていて、冒頭で紹介した連房式鍛冶工房はその最も大規模な工房です。この連房式鍛冶工房は鹿嶋市宮中に所在する鹿島郡家跡(神野向遺跡)の周辺で3棟出土していて、郡家の造営と関連した工房跡ではないかと推定されています。

比屋久内遺跡出土の製鉄炉と炭窯

さて、冒頭で紹介した連房式鍛冶工房ですが、どこに位置しているかお分かりの方はいらっしゃるでしょうか。鹿嶋市内にお住まいの方であれば、一度は通ったことがあるのではないかと思う場所です。

・・・実は、現在の国道124号線を作る際の発掘調査で見つかった遺構で、勤労文化会館西の交差点から南に進み下り坂に差し掛かる辺りが遺跡の位置です。

どうでしょう。現在は大きな道路が通り、お店や住宅が立ち並ぶあの周辺に、1300年前の鍛冶工房があり、そこで大規模な鍛冶が行われていた。現在しか知らない私たちには到底想像できないことですが、発掘調査によって発見されたことでわかりました。

春内遺跡の現況

『常陸国風土記』香島条には、慶雲元(704)年佐備大麻呂等が若松浜で砂鉄を採り刀を作った記事が残されています。春内遺跡でみつかった鍛冶工房はおおむね7世紀末葉の工房と判断されており、風土記編纂のころに鹿嶋で鍛冶が行われていたと判断できる事例といえます。こうした風土記の時代に遡る鍛冶の痕跡が見つかったということから、春内遺跡は学界でも注目される遺跡として著名です。こうした素晴らしい遺跡が、実はよく通る道路の下にあったということを知っていただけたら幸いです。


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