「平安時代の鹿島」第4回目は灰釉・緑釉陶器です。
灰釉(かいゆう)・緑釉(りょくゆう)陶器は奈良時代・平安時代の集落遺跡や土坑(墓坑)から若干の出土が見られます。白っぽい素地に釉薬(ゆうやく)を施し焼き上げた非常に美しい器です。当時、とても貴重だった中国の陶磁器(青磁(せいじ)・白磁(はくじ))や金属製の仏具を模倣して作られ、灰釉・緑釉陶器そのものも貴重品として全国に流通しました。
灰釉陶器は植物の灰を水に溶かしたものを釉薬に使用しており、主に愛知県にある猿投(さなげ)窯跡群とその周辺のものが有名です。この猿投窯では8世紀後半から灰釉陶器の生産をはじめ、9世紀後半には生産のピークを迎え全国的にも猿投窯産の製品が流通しました。
緑釉陶器は鉛(なまり)を主成分とし、緑色に美しく発色する銅化合物(どうかごうぶつ)を加えたものを釉薬として使用し、先述した猿投窯跡をはじめ、東海・畿内地域で生産されました。生産には灰釉陶器以上に技術が求められ、灰釉陶器よりも貴重な品でした。
県内の緑釉・灰釉陶器の出土状況をみてみると、「官衙(かんが)」や「寺院」、「大規模集落」、「墓坑」や交易の中心となったとみられる「津(港)」の近くの集落などからまとまった資料が見つかっています。
一つの遺跡から出土する灰釉・緑釉陶器の量は日常使いの器である須恵器・土師器に比べると非常に少なく、さらに緑釉陶器は灰釉陶器よりも少ない傾向にあります。
鹿嶋市内においては、鹿島郡家跡とその倉庫群など関連施設のあった神野向遺跡や、寺院に関する遺跡とみられる高尾崎遺跡、中山遺跡、奈良・平安時代を通して多くの人が住んだ厨台遺跡群などから確認されています。特に中山遺跡からは花瓶など緑釉陶器片11点、灰釉陶器片87点が報告され、県内でも屈指の出土量を誇っています。
灰釉・緑釉陶器は現代でも骨董品としてその価値がついていますが、古代の人々もその特別な美しさをうっとり眺めたことでしょう。この器を入手するためには東海地方など遠方と取引できるような人脈や交易ルートを持ち、高価な製品を購入するだけの財がなければできません。鹿嶋の中でも一部の政治力や財力を持った人々の手で輸入され、利用されたと考えられます。
この灰釉・緑釉陶器は鹿嶋市どきどきセンター特別展「平安時代の鹿嶋」でも展示しているほか、常設展示も行っています。ぜひ一度ご覧ください。
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