平安時代の鹿島⑩ 鉄製紡錘車

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 紡錘車とは、コマのような形をした糸を紡ぐ道具で、日本では弥生時代〜室町時代に使われたとされますが、遺跡から出土する例はほとんど奈良・平安時代のものです。鹿嶋市内の奈良・平安時代の集落遺跡からは、なんと91個も出土しており、各集落跡で糸を紡ぐ作業が行われていたことが想定できます。

紡軸が鉄製、紡輪が石製の紡錘車(梶内遺跡出土)

 紡錘車は大きく2つの部品からできていて、「紡軸(ぼうじく)」や「紡茎(ぼうけい)」と呼ばれる軸棒の部分と、「紡輪(ぼうりん)」「はずみ車」「紡錘(ぼうすい・つむ)」「紡錘車」「つむ」や「こま」と呼称している円形で板状の車の部分です。
 ➀紡軸は、糸に撚りをかける回転運動の中心となります。鉄製の棒が付いたままで出土する例がありますが、車の部分のみが出土することが多く、土中では腐食してしまう木製のものが主に使われていたと考えられます。
 ➁紡輪は回転する惰性を大きくし、なおかつ撚った糸が、軸の下位に下がらないよう、底板の役目も担うおもりです。
 遺跡から出土する多くは軸を失ったおもりの部分「紡錘車の紡輪」ですが、「紡錘車」と呼んでいることがほとんどです。紡輪は石製・鉄製・土製と、素材に違いがあり、専用につくられたものと、土器の底部の中心に孔を開けた転用品のものも認められます。市内では滑石製が最も多く、土製と鉄製は僅かです。滑石製のものの中には線刻で模様や文字が書かれているものもあります。

線刻「申田 左  左」と線刻された紡錘車(厨台遺跡群厨台遺跡出土)

 時期によって素材が違うとは言えないため、使い分けのルールがどこにあるのかはわかっていません。
 一つの案としては撚る糸の材料の違いとする考え方があります。撚る糸の種類は、大きく絹に代表される動物性繊維と麻などの植物性繊維の二つに分けられます。
 今回のテーマは鉄製紡錘車です。紡軸・紡錘の両方とも鉄製の紡錘車は市内では2例しかありません。厨台遺跡群片野遺跡から出土した鉄製紡錘車は、残存長20.6㎝、紡軸の径は4~8㎜、紡輪の直径が4.4㎝です。紡軸の上部は鉤(かぎ)形をしており、ここに繊維を絡めて撚りが戻らないようにしたのでしょう。
 布の生産にはこの後織る作業があります。機織りの道具は市内の遺跡からは見つかっていません。出土品から古代の手工業を復元する作業は難しいですね。

厨台遺跡群片野遺跡出土の鉄製紡錘車

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