「古墳に眠る宝物」の第4回は5月に掲載した第2回から続いて、志崎1号墳出土のフラスコ型長頸瓶2点を取り上げます。
まず、図1の長頸瓶は胴部がやや横長の球形で薄手に作られ、頸部は付け根からやや外湾しながら立ち上がります。口縁部は大きく外反し、外面口縁下には沈線が施され、二段に作られています。胴部は回転ナデによって成形され、胴下部から底部まで回転ケズリが施され、器の内面と外面の一部には自然釉が掛かります。生産地は前回の長頸壺同様に湖西窯と考えられ、口縁部の特徴から7世紀末のものとみられます。
図2の長頸瓶は丸い胴部をもち、頸部は太く直立し中ほどにはヘラでつけられた沈線が2条周ります。口唇部は欠損していますが、図1同様大きく開く形状をしていたとみられます。胴部には平行タタキ目が散見され、粘土をタタキ伸ばして成形した後、回転ケズリで形を整えたものとみられます。焼きは良好で褐色がかった暗灰色をしており、外面や口縁部内、底部に自然釉が掛かります。生産地は胎土や焼き色から愛知県周辺の猿投窯と考えられ、頸部の形状からこちらは7世紀後半に作られたものとみられます。
このようにこの2つの長頸瓶は長頸壺ともども、鹿嶋から遠く離れた地域で生産された個体とみられ、制作年も近いものです。これらの土器はどのように使われたのでしょうか。この土器の形状を見ていくと、底部が丸く造られています。つまり、お茶碗やコップのようにテーブルに自立させて使うことを考えていないということです。静岡県の郷ヶ平6号墳からは、これらの長頸瓶のように底の丸いハソウという形の土器を捧げ持つ女子(巫女)の埴輪が見つかっています。このように人が持つ、あるいは器台など特別な台を用いることを前提とした土器は、日常使いを目的とした道具ではなく、祭祀行為のために作られ、鹿嶋まで運ばれてきたものだと考えられます。
志崎1号墳は被葬者のいない「空墓」であることがわかっています。しかし墳丘からは祭祀行為を目的とした土器が複数見つかっています。つまり、埋葬する人そのものはいないけれど、葬送の儀礼だけは行った可能性が高いということです。この古墳に埋葬されるはずだった人はどこへ行ってしまったのでしょうか?
今回紹介した土器類は、令和5年8月1日~8月31日まで、どきどきセンター特別展「古墳に眠っていた宝物―鹿嶋の古墳から―」で展示します。ぜひ見に来てくださいね。
引用参考文献
鹿嶋市教育員会『志崎古墳群-志崎1号墳発掘調査報告書-』2013
後藤健一『遠江湖西窯跡群の研究』2015