古墳に眠る宝物⑫長方形鏡板付轡(ちょうほうけいかがみいたつきくつわ)

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「古墳に眠る宝物」の第12回は、馬具を取り上げます。

 古墳に眠る宝物⑨二子塚1号墳出土 馬形埴輪の章で馬具を模した部分のある埴輪を紹介しましたが、今回紹介する馬具は、そうした埴輪が模倣したホンモノであるとも言えるでしょう。

 鹿嶋では埴輪同様に珍しい遺物で、宮中野古墳群第99-1号墳から長方形鏡板付轡が出土しています。宮中野古墳群は、鹿行ナビでも何度か取り上げている県内最大規模の古墳群です。 この99-1号墳からは、2個の轡(くつわ)が出土しています。鏡板は中央に二個の窓があり……と言っても難しいかと思いますので、まずは写真をご覧ください。

 轡とは、馬の口に噛ませて手綱で馬を制御し意思疎通を図るための馬具です。その中で、馬がくわえる銜(はみ)の端に付けるものが鏡板。この写真の右下の部分です。発掘当時の報告書にわかりやすい実測図が記録されています。

 馬具は非常に細く、精密な加工がなされています。この轡には残っていませんが、金銅などでメッキが施されたものもあります。高度な加工技術が必要で、製作に携わった職人の技術力の高さがうかがえます。古墳から出土することがほとんどで、そこに埋葬される有力者との関わりが考えられます。

 日本における馬具の歴史として、まず5世紀に入る頃に乗馬の風習が始まります。この頃に使われた鉄製の轡や木芯鉄板張鐙(もくしんてっぱんばりあぶみ)などは朝鮮半島の伽耶のものに近く、前述のような高い技術をもった職人が馬とともに渡来してきた可能性があります。馬具の様式から、海を越えた人々の往来が読み取れます。

 時代を重ねるにつれて、馬具には金メッキなどが用いられ、馬を装飾する意図が強くなっていきます。馬形埴輪の回でも述べた飾り馬です。権力の象徴となった馬具は、それを用いた有力者の存在を読み取れる遺物となるのです。

 鹿嶋からの出土は珍しい馬具ですが、鹿行地域ではさらにいくつかの例があります。そのひとつが、行方市の成田古墳群3号墳です。ここからは、壺鐙杏葉、そして、長方形鏡板付の轡が出土しています。この轡の形状は宮中野99-1号墳のものに近く、また、成田3号墳と宮中野99-1号墳はつくられた時期も近いため、何らかの関連も考えられます。  馬具の裏には、それをつくった技術者や、使った権力者がいます。近隣の地域や国との繋がりを読み取る鍵にもなります。やはり貴重な宝物です。

参考文献
茨城考古学会 1970 『茨城県鹿島郡鹿島町 宮中野古墳群調査報告』茨城県教育委員会
茨城県教育財団 1998 「成田古墳群」『茨城県教育財団文化財調査報告 第130集 北浦複合団地造成事業地内埋蔵文化財調査報告書Ⅰ』茨城県教育財団


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