イオン鹿嶋店のすぐ脇の階段を下りていくと西谷(にしやつ)親水遊歩道がある。鉢形北区ふる里会が7月上旬に草刈りを行ったばかりだ。ウグイスがさえずる中、水路に沿って走っていくと、水田(ほんの一部がハス田)が広がる。
「こんなところに階段? どこにつながっているのだろう」と首をかしげながら、初めて階段を下りたときは、「世界」の変化に驚いたものだ。イオンの裏にこんな世界が広がっているとは。いまでここを走るたびに不思議な感覚を覚える。
水田の先には住宅があり、さらに先に日本製鉄鹿島製鉄所のエントツが望める。工業地域が築かれる前の農村の原風景がここに「箱庭」のように残っているわけだ。イオンの脇の階段はそんなひそかな世界に向けてポッカリ空いた入り口になっている。
7月の雨上がりの早朝、大きな水たまりでランニングシューズを濡らしたくないから、仕方なく数百メートルの距離を行ったり来たりする。
この時期はよくカタツムリが舗装路に這い出している。生まれたばかりと思われる豆粒ほどのものもいる。彼らが何をしようとしているのか、まったくわからない。正しい方向に向かっているのだろうかと心配になる。
それにしても彼らの歩みはのろい。私が数百メートルを往復しても、数ミリしか移動していないように思う。彼らはいったい、どういう「時間」の中に生きているだろう。私の1日と彼らの1日はあまりに違う。そもそも1秒、1分、1日という「時間」は人間が勝手に定めた尺度に過ぎないではないか。
水田の向こうのへりにはアオサギが悠然と立っている。オタマジャクシなどを狙っているのだろうが、身動きひとつしないその様になぜか圧倒される。彼らも私と全く別の「時間」「世界」に生きている。都会のランニングとは違い、そんなことを思考する機会があちこちにころがっている。
ハス田では7月中旬に白い花が咲き始めた。農道の飾り気のない世界も季節の移ろいとともに、彩りが変わる。ハスの葉に雨粒が残って、輝いている。葉の緑の瑞々しさも日ごとに変わり、ある日をもって瑞々しさを失い始める。
人間にも植物にもピーク(盛り)がある。おそらく、それぞれに最も美しい瞬間(日、時間)がある。生き物とはそういうものだ。
水田によって田植えの時期がずれているから、いつの間にかイネが実り出している田もある。そこには案山子が立つ。藪ではキリギリスが泣き始めたが、葦原でけたたましく叫んでいたオオヨシキリはいつの間にか姿を消している。彼らも渡り鳥であることを思い出す。
鹿行でのランニングの時間は自然と向き合い、対話する時間でもある。
文・写真:吉田(鹿島アントラーズ 地域連携チーム)