鹿行偉人伝その6~鹿行の赤ひげ先生、小原順庵~

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 鹿島の小原順庵先生は住民に寄り添った治療をおこなう漢方医でした。住民から、とりわけ貧乏人から慕われていました。「赤ひげ先生」のように。順庵先生より160年前江戸に、「赤ひげ先生」こと小川笙船(しょうせん)先生がいました。目安箱に投書して小石川養生所ができ、その養生所のリーダーとなった人でした。

 かつて鹿行にもいました。幕末から明治にかけて,波野村清水には小原順庵というすばらしい「赤ひげ先生」そっくりな医者がいました。

鹿島人物事典より

小原順庵は 若くして江戸に出て、麻布日ケ窪で医学を学びました。帰鹿して、「医は仁術なり」の信念をもって住民の治療にあたりました。村人の人望が厚く,貧乏人がお金を持ってくると,怒ってお金をつき返しました。「今度お金を持ってきたら、診てやらないぞ!」と。幕末の天狗党騒ぎで小原先生が一味に追われたことがありましたが、村民がかくまって事なきを得ました。

 慶応三年七月十日に□□村で殺害事件が発生しました。両親が殺され、娘が重傷。その時の証人の発言、「醫師淳庵・玄仲両人呼寄治療差加へ候得共」(医師順庵と玄仲の二人を呼び寄せ治療を加えましたが)と古文書にあります。

 なんと,名医小原順庵先生は当時すでに亡くなっているにもかかわらず,患者の夢の中に現れて病気を治してしまいました。その患者さん、新町志田庄之助が建てた感謝の碑文が、小原順庵先生のお墓の脇にあります。清水地区法蔵院北の共同墓所です。以下、碑文の現代語訳。

 「庄之助明治41年10月24日病を得て11月20日の間病床に伏す。病勢いよいよ増し、明治42年6月29日夢の知らせに、病気快癒の宿願を朝夕祈願していると、故小原順庵の霊験ありて、病気速やかに平癒す。よって大願成就のため石塔一宇を建立す。明治四十四年鹿島町字新町志田庄之助本年六十才」。

 小原家第十四世医小原順庵。天保9年生まれ,明治37年4月22日没(1838-1903)。享年67歳。

感謝の記念碑
順庵のお墓

 順庵先生のお孫さんも晩年東京から帰鹿して清水で漢方医を開業していました。花粉症の私もそのお孫さんに診てもらったことがあります。「先生、次の患者さんがずっと前から待っていますが」と言うと、「気にするな」。1時間ほど世情や人生観など色々話してくれました。子孫の方に、吉祥寺在の小原正明氏がおられます。 

 鹿嶋市志崎に「ハラキン」というきのこの会社がありますが、その原 謙次社長も小原順庵家の親戚です。 

株式会社「ハラキン」(従業員140名 電話0299-69-0132)

 2019年ラグビーワールドカップ日本大会で活躍した福岡堅樹選手(28)が5月引退しました。これからは「患者さんに寄り添えるドクターになりたい」と自身の将来像について語りました。3時間待ち3分医療の現代にあって、福岡さんは「赤ひげ先生」や小原順庵先生を目ざしているのかもしれません。

文 鹿嶋古文書学習会 鹿野 貞一


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