かしまの遺跡いってみた!vol.2 「足元に1300年前の役所跡」

鹿嶋市どきどきセンターby:鹿嶋市どきどきセンター

どきどきセンターPRESENTSーかしまの遺跡いってみた!ー

かしまの遺跡行ってみた!今回は鹿島郡家跡(神野向遺跡)をご紹介します。鹿島郡家跡は、国指定史跡鹿島神宮境内附郡家跡の一つで、古代鹿島郡の役所跡です。約73,600㎡の範囲が国の指定を受けており、大きく郡庁域と正倉域に分けられます。
 今の時期は草木が元気に伸びてきます。どきどきセンターでは、史跡整備のため鹿島郡家跡の草刈を行っています。きれいになったばかりの郡家跡を歩いてきました!

 史跡の南西側の入り口から入るとまず見えるのは、正倉域です。今は埋まっていますが、幅約4~5m、深さ約1.5~2.5mの大溝に囲まれた範囲に、倉庫が並んでいました。正倉とは、税として納められた米などを保管する倉庫のことで、鹿島郡家跡では大きく3回の建て替えが行われたことがわかっています。第1期は総柱の掘立柱建物跡、第2期は礎石建物跡、第3期は掘立柱建物跡が確認されています。近年の調査では、第2期の礎石建物は、大溝内に33棟あり、中央にはひときわ大きな建物が建っていたことがわかってきました。基礎工事の跡は、南北25m、東西10.5mの面積があり、これは法倉と言われている倉庫の中でも威厳を示すために造られたより荘厳な倉ではないかと考えられます。

正倉域 before
正倉域 after

また、鹿島郡家跡からは、瓦が出土しています。古代において瓦は、郡家などの役所か寺院にしか葺かれていませんでした。

神野向遺跡出土軒丸瓦

正倉域の中を進み北東に歩くと次にたどり着くのは、郡庁域です。郡庁は主に役人が政務を行う場所になります。郡庁も3回の建て替えが行われたことがわかっています。第2期には郡庁を取り囲むように回廊が巡り、正殿の南側に前殿が建てられました。また、郡庁域からは、「鹿嶋郡厨」「祝家」などの墨書土器が見つかっており、これらが見つかったことにより、鹿島郡家であることが明らかになりました。
 現在の郡庁には、実際の調査で見つかった柱穴の位置がわかるようなっています。草刈後に行くと草で隠れてしまっている柱がよく見えるようになっています。

郡庁域 before
郡庁域 after

 さらに東に進んでいくと、厨家推定域が見えてきます。厨家とは、台所のことです。中央から視察に来た役人などが宿泊する際や、まつりごとを行う際に出す食事を用意する施設です。掘立柱建物跡や浅い掘り込みの竪穴建物跡が見つかっており、ここからは、「厨」「鹿厨」などの墨書土器が多数出土しています。また、「館」という墨書土器も見つかっています。館とは、宿泊施設のことで、厨家の近くにあったのではないかと考えられます。

厨家推定域before
厨家推定域 after

 最後に空から鹿島郡家跡を見てみましょう。きれいになった鹿島郡家跡とても歩きやすいです。草刈直後の鹿島郡家跡ぜひお散歩してみてはいかがでしょう。

正倉域北東から

文化一覧ヘ