第5回目は鉄製品です。権力の象徴の1 つに刀剣があります。一般的に片側にだけ刃が付いているものを刀、両方についているものを剣と呼んでいます。古墳時代の刀は刃がまっすぐな直刀で大刀と呼ばれるものもあります。大刀の頭には豪華な飾りが付きます。また、金装や銀装の大刀もあり、地域の首長クラスの古墳から出土しています。

鹿嶋市内の古墳の調査例をみると、刀を副葬している古墳は7基です。発掘調査を行った古墳はほとんどが6世紀代であり、ピラミッド的に成熟した階層化社会に変化したことが、古墳の大きさや副葬品に現れています。


津賀の日光山10号墳から出土した直刀は、鍔の側面に文字の「の」のような銀象嵌がみられます。象嵌(ぞうがん、象眼とも)は、一つの素材に異質の素材を嵌め込む工芸技法です。
そして、直刀と並んで多く見つかる鉄製品には鉄鏃もあります。4 世紀に入り、鉄鏃が茨城県内でも副葬され始め、5 世紀に入ると形態も多種になります。6 世紀代になると古墳への副葬が爆発的に増加します。7 世紀に入っても副葬は続き、古墳への副葬が行われなくなった奈良時代以降も武器として生産は続けられました。
鉄鏃の分類は古墳の年代決定に大きく関わるため、細かく分類がされ、研究が行われています。

市内の遺跡で鉄鏃が見つかっている古墳は国神1 号墳、日光山10 号墳、宮中野58 号墳・69 号墳・79 号墳・84 号墳・97-3 号墳・98-2 号墳・114 号墳(大塚古墳)・126 号墳と10基です。6世紀から7世紀に入って築造された古墳に、鉄鏃が副葬されています。
5世紀以降の古墳では、鉄素材(鉄鋌)も副葬品に入ることがありますが、なんといっても大刀・直刀・鉄鏃・甲冑など鉄製の武器や武具は権力の象徴です。これら鉄製品は古墳の副葬品の中でも特に目立った存在で、当時の武器生産は先端技術を駆使して量産し、各地の権力者へ提供されたと考えられています。また、鍛冶生産体制も権力者の下で確立され、大刀・直刀などの武器だけでなく古墳を造る際の土木事業に使用する農耕具についても生産が盛んであったと考えられます。