令和6年度は「平安時代の鹿島」をテーマに、市内の遺跡から出土した遺物を紹介します。第1回目は鉄製農具です。
弥生時代に水田による稲作が始まると、木製の農具が普及し、水田の開発が行われました。古墳時代になると鋤や鍬の先端が鉄製になり、鎌も使用されるようになり、土木技術が発展しました。古墳の築造も、この技術革新に支えられて発展したのかもしれません。
鹿嶋市内の発掘調査成果をみると、一般集落から鉄製農具が出土するのは8世紀代、奈良時代です。田んぼを増やすための開墾が進んだ奈良時代、これらの農具はほとんど形を変えず、平安時代も使用されていました。遺跡から見つかる農耕に使用する代表的な道具はなんでしょうか?
鋤・鍬・鎌・斧でしょう。写真1は鋤先・鍬先です。
実は鍬先と鋤先ほとんど見分けがつきません。鋤や鍬は先だけが鉄製で、他は木製でした。現代では全体が鉄製のものもありますが、柄だけが木製というものが多く出回っています。
次は鎌です。鎌は柄に取り付ける部分が現代と違います。ほとんど形は同じですね。
そして斧です。この斧は奈良時代のものですが、基部が袋状であり、柄が差し込み式だったのでしょう。
最後に鋸を見てください。鹿嶋での出土は1例で、厨台遺跡群片野遺跡で出土しています。とても貴重な資料です。
これまで多くの遺跡を発掘調査していますが、鉄製の農耕具がなかなか見つからない貴重な資料である理由はなんでしょうか。①研いだりしながら使えなくなるまで使ったから、②水田で使用し廃棄したから、③そもそもの鉄の道具の普及量が少なかったから・・・いろいろ考えられます。今後の研究に期待しましょう。
さて、昭和30年代まで鹿嶋では水田において牛を使って田を耕していましたが、牛や馬を使った農耕は、文献を紐解くと平安時代末から鎌倉時代まで遡ります。田んぼの土を豊かにするために、耕して肥料を入れる「田起こし」。 耕うん機が登場する昭和30年代までは、鍬や、馬・牛耕用の犂(すき)を使って土を掘り起こしていました。鹿嶋でもよく見られた春の風景だったのでしょう。
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