かしまの遺跡いってみた!vol.10「神野向遺跡の南」

アバターby:鹿行ナビ

昨年暮れに開通した道路を鹿島神宮駅方面に走っていくと、宮中橋の手前の道路が少し高く造られていることに気づきます。

(神野向遺跡南の道路の写真)

これは、鹿島郡家の正倉院で見つかっている倉庫跡(地業)が発掘調査で確認されてため、遺構を壊さないように保護層を設け設計が少し変更されたことによります。

(礎石建物SX1全景)

神野向遺跡は奈良平安時代の鹿島郡の役所跡(鹿島郡家跡)として国史跡に指定されています。正倉院という大溝に区画された倉庫跡が史跡内の南西部に確認されていますが、大溝の外側であるこの道路部分でも確認されました。確認された倉庫の基礎工事(地業)はとても丁寧な仕事で、10ⅿ四方の範囲を深さ1ⅿ程度のプール状に掘り、そこに違う種類の混ぜ方をした土を互層に敷いては搗き固めています。倉庫の不同沈下を防ぐためです。倉庫の中身はたぶん租庸調の「租」で集められた税である籾を収納していました。

この道路で倉庫跡が3棟発見されたことによって、正倉院の大溝の外にも倉庫が造られていることがわかりました。そして3棟の間隔は36.4~34m あり、延暦十年(791)に出された太政官符「新造倉庫。各相去必須十丈巳上。」の内容を満たしているため、延暦十年以降の8世紀末以降に造営された可能性が高いことが指摘されています。

ところで、この道路の東側の方では、役人たちの集落と考えられる集落跡が見つかっています。

(調査区の写真)

掘立柱建物跡とカマド付きの竪穴住居跡が分布しています。竪穴住居跡のカマドに注目するといろいろなタイプがあります。なぜでしょうか?

(神野向遺跡の集落で検出された様々なカマド)

このカマドの構築の違いには、役人たちのルーツを解くカギが隠されているかもしれません。


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