古墳に眠る宝物⑦銀象嵌の柄頭

アバターby:鹿行ナビ

第7回目は宮中野古墳群大塚古墳出土の銀象嵌が施された柄頭です。

 この名前を聞いてもどんな宝物かなかなかイメージできないと思いますが、刀の持つ部分を柄(つか)といい、その柄の下の部分である頭の部分(先端)にはめられた金具(飾り)に銀で象嵌が施されているということです。

大塚古墳出土の柄頭写真

 象嵌(ぞうがん、象眼とも)は、一つの素材に異質の素材を嵌め込む工芸技法です。象は「かたどる」、嵌は「はめる」と言う意味があります。
 この柄頭は保存処理された状態であり、銀で象嵌がされた部分が白い線のように見えます。口の部分はU 字状の模様が、本体部分は葉のようなハートのような文様が見えます。布が付着していたのでしょうか、糸で編まれたようなものが付着しています。

大塚古墳出土の柄頭X線写真

 この写真は柄頭をX線で撮影した写真です。細く糸状に象嵌された文様が柄頭全体に入っていることがわかります。当時はさぞ美しかったでしょう。 また、大塚古墳からは他にも銀製品が出土しています。

大塚古墳出土耳環

 銅芯に銀メッキの施された耳環です。メッキとは鍍金(ときん)とも言い、表面処理の一種で、金属や樹脂の表面に、素材とは異なった種類の金属の薄い膜を成形する方法です。大塚古墳からは金のメッキが施された耳環も出土しています。
 今回紹介した2点はいずれも主体部(埋葬施設)から出土したものです。大塚古墳は規模からみても、鹿嶋でも階層の最も上の権力者の墓と考えられるため、埋葬された人物はこのような最先端の技術を用いた製品を手に入れ、副葬したと考えられます。

大塚古墳の主体部(埋葬施設)の検出状況
(朱塗りの石棺材の破片が部分的に残る)

 日本に初めてメッキ品が登場したのは古墳時代です。金属を加工する技術は大陸から伝わり、やがて国内でも作られるようになります。鹿嶋では6世紀後半から7世紀頃にかけての古墳や集落からメッキされた耳環が発掘調査で出土しています。
 全国的に見るとメッキ製品は古墳から出土しているものが多く、馬具の金具や刀剣類があり、儀式に使ったと見られる冠帽、金属製クツも見つかっています。古墳時代後期には象嵌・メッキという技術が導入され、金工・鍍金の専門集団が権力者の下で働いていたとみられています。


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