ココロオドル鹿嶋を再発見vol.7~ふつふつと子供の勾玉が生まれて・・~

鹿嶋市どきどきセンターby:鹿嶋市どきどきセンター

 古墳時代の人々は勾玉から勾玉が生まれるという信仰を本当にしていたのでしょうか?この勾玉は子持勾玉と呼ばれる古墳時代の5世紀半ばから7世紀半ばまで使われた祭祀遺物です。

厨台遺跡群竪穴住居跡出土の子持勾玉

 この時代の祭祀は自然崇拝であり、山や川など神の存在が想定されている場所で祭祀が行われていました。また、古墳で行われる葬送の祭祀にも使用されていました。

 子持勾玉は秋田県から鹿児島県まで広く分布していますが、茨城県は出土例が多い地域で、鹿嶋で見つかっている子持勾玉は全部で7点と県内の他地域より多くの出土例があります。水田の調査や厨台遺跡群の竪穴住居跡で見つかっているもの、鹿嶋市宮中からの出土と伝えられているものとその出土地は鹿島神宮を中心に分布しています。

 水田の調査では、臼玉や石製模造品と一緒に子持勾玉が出土しています。古墳時代の祭祀遺物の代表といえる組み合わせで、豊作を祈る神まつりが行われていたと考えられます。

爪木地区の水田から見つかった子持勾玉

 厨台遺跡群や宮中野古墳群の調査では、竪穴住居跡から土師器の坏や甕と一緒に見つかっています。集落内から出土している場合は、そこで祭祀が行われていた可能性もありますが、そこに神まつりを行っていた人が住んでいたとも考えられます。

 鹿嶋市宮中からの出土と伝えられている子持勾玉の1つは茨城県立歴史館に収蔵されています。この子持勾玉は市内から出土しているものとは少し違った形をしています。薄く扁平で三日月のような形でお腹に突起が付いています。

鹿嶋市宮中から出土した子持勾玉『茨城県資料 考古資料編 古墳時代』より転載

 子持勾玉は5世紀半ばに作られ始め、6世紀に盛行し、7世紀半ばに使われなくなるという約200年間使用されたものですが、その間に少しずつ形が変わっていっています。初めははっきりとした形の子勾玉が付き、次第に子勾玉は形式的な突起に変わっていきます。また親勾玉も断面が円形から楕円形そして扁平へと変化していきます。つまり初めはきちんとした勾玉に勾玉が付く形から、扁平な勾玉に突起が付く形に変化します。

 子持勾玉の研究は江戸時代にさかのぼりますが、近年では出土例も増加し、全国で550点以上あります。その中には世界遺産になった沖ノ島や奈良県藤原宮の井戸跡、奈良県三輪山など、政治的な祭祀を行っていた遺跡も多くみられ、豊穣や子孫繁栄といった祭祀ばかりでなく、政治的な国家祭祀にも使われていた祭祀道具といえます。

どきどきセンターPRESENTS-ココロオドル鹿嶋を再発見-

 鹿嶋市どきどきセンターは、鹿嶋市内の発掘調査や鹿嶋の歴史・文化を伝える事業を展開しています。全24回、鹿嶋市内の発掘調査の出土品からみえる鹿嶋の歴史や文化・食生活など紹介していきます。また、どきどきセンターの企画展や事業をお知らせします。


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