羽口とは、鉄をつくるときに空気を送風する道具で、炉に差し込んで炉内に酸素を送り、この酸素導入の強弱によって炉内の温度調整を行う道具です。
羽口の表面をみると、炉内に差し込んだ側の表面に灰黒色の物質が付着しています。これは炉内で鉄を溶かした際に付着した不純物で、通常鉄滓(スラグ)といわれるものです。羽口は強い熱を受け、実際に使用されたことがわかる痕跡物です。鹿嶋では出土遺物から7世紀後半ごろに使われていることがわかっており、特に鹿嶋市佐田に位置する春内遺跡では、この羽口が多数出土しています。
春内遺跡は、平成5年に一般国道124号線バイパス建設工事に伴って発掘調査が行われ、この調査で7世紀末葉の連房式竪穴工房跡(いくつもの工房が連なった竪穴状遺構)が出土しました。当時、同遺構の検出例は少なく、県内では石岡市鹿の子C遺跡から検出していましたが、全国的にみても稀有な例でした。
春内遺跡で出土した連房式竪穴工房跡の構造は4基の鍛冶炉が配置された工房が5つ連なっている長方形の平面プランで、東西29.4mを測る長大なものでした。注目すべきは同遺構の年代であり、7世紀末葉という年代から『常陸国風土記』と関係した記事であると注目されました。
『常陸国風土記』とは、奈良時代はじめにつくられた常陸国内の風土・伝承・歴史等が記載された文献で、各地域のガイドブックのようなものです。この中に、「慶雲元(704)年に国司婇女朝臣が鍛佐備大麻呂たちを率いて若松浜で鉄を採って剣を造った」と記載されています。この記事からは、すでに鹿嶋で製鉄鍛治が行われていることがわかります。
こうした製鉄・鍛冶が奈良時代から鹿嶋で行われていたことを裏付ける考古学的成果が、春内遺跡の調査で発見された連房式竪穴工房跡です。
連房式竪穴工房跡は他に神野向遺跡と片岡遺跡からも検出され、いずれも鹿島郡の政庁(役所建物)に距離が近いことから、古代の郡役所造営等に関係した鍛冶工房であったと考えられています。
いま、鹿嶋市の南東を見ると、高い塔からモクモクと白煙が立ち昇っている景色がみえます。
鹿嶋市と神栖市にまたがった鹿島臨海工業地帯に広がる「日本製鉄鹿島製鉄所」の煙突は、鹿行地域の人たちに特別な思いを感じさせます。古代の人たちは立ち昇るケムリをみて、どう感じたのでしょうか。
どきどきセンターPRESENTS-ココロオドル鹿嶋を再発見-
鹿嶋市どきどきセンターは、鹿嶋市内の発掘調査や鹿嶋の歴史・文化を伝える事業を展開しています。全24回、鹿嶋市内の発掘調査の出土品からみえる鹿嶋の歴史や文化・食生活など紹介していきます。また、どきどきセンターの企画展や事業をお知らせします。