ココロオドル鹿嶋を再発見vol.12~遠くから来ました~

鹿嶋市どきどきセンターby:鹿嶋市どきどきセンター

木滝横穴出土須恵器横瓶

 鹿嶋市内には数多くの古墳が残されていて、市内だけでも約400基を数えます。古墳は北浦に面した鹿島台地西縁に位置するものが多く、この中で代表的な古墳群としては宮中野古墳群が挙げられます。こうした古墳の特徴は墳丘をつくる点ですが、古墳時代も終わりの頃、墳丘へ埋葬しない例が出現してきます。これは横穴墓といい、山腹や丘陵の縁辺に横穴を掘り、埋葬施設としたものです。

 市内では木滝横穴と大掾辺田横穴群があり、このうち木滝横穴周辺では遠方から持ち込まれた土器がみつかっています。

 上の写真は木滝横穴周辺で出土した須恵器で、横瓶といいます。同地では他に長頸壷などの瓶・壺類がみつかっていて、おおむね7世紀後半から8世紀前半のものがみられます。

木滝横穴No.1平面図

 木滝横穴は昭和42年の高松地区造成工事に伴う台地部の土取り工事中に発見された遺跡で、現在の高松小学校裏手の崖にあったとされていて、現在は湮滅してしまっています。こうした工事中にみつかった遺跡ではありますが、そこから出てきたとされる資料の一部は回収されて、現在鹿嶋市どきどきセンターに収蔵されています。

大掾辺田横穴群 調査風景

 木滝横穴はきちんと撮影された写真もなく、実際の雰囲気を窺い知ることはできないですが、付近には大掾辺田横穴群も確認され、同地周辺に横穴が点々と築かれていたことがわかります。

 さて、木滝横穴のうち、運よく破壊前であった横穴No.1からは須恵器のほかに骨片や歯も出土していて、『鹿島町史』第1巻では壮年男女各1体、青年男女各1体、幼児1体の歯だと判断され、一家の墓であると考えられています。須恵器の年代からは飛鳥~奈良時代に入っている段階であり、古墳時代終末期から古代国家成立期の段階でつくられた横穴であると判断されます。

鹿嶋と湖西の位置図

 さて、木滝横穴からみつかった須恵器ですが、実は鹿嶋近郊の地域でつくられたものではありません。これらは東海地方、いまの静岡県湖西市周辺に窯が築かれる「湖西窯跡群」でつくられたもので、遠く鹿嶋の地まで運ばれてきたものです。

 湖西窯跡群で生産された須恵器は、7世紀から8世紀にかけて東日本の太平洋側に多く流通します。そうした流れの中で、鹿嶋にも湖西窯の製品が持ち込まれて、横穴に埋納されたと考えられます。

 なお、こうした湖西窯の須恵器は日常使用される雑器ではなく、葬送儀礼などに関係して使われたと考えられていて、その証拠に木滝横穴のように横穴に埋納される事例や古墳に埋納される事例などが多く確認されています。

 木滝横穴でみつかった須恵器からは当時の物流範囲の広さ、そして横穴に持ち込まれて死者を悼んだことを窺い知ることができます。

どきどきセンターPRESENTS-ココロオドル鹿嶋を再発見-

 鹿嶋市どきどきセンターは、鹿嶋市内の発掘調査や鹿嶋の歴史・文化を伝える事業を展開しています。全24回、鹿嶋市内の発掘調査の出土品からみえる鹿嶋の歴史や文化・食生活など紹介していきます。また、どきどきセンターの企画展や事業をお知らせします。 


文化一覧ヘ