内耳土器や焙烙はかまどやいろりに吊るして使用するため、内側に釣り手状の「耳」が3~4か所ついています。「耳」とは釣り手のことで、内に付くものが内耳、外に付くものが外耳という名称で呼ばれています。
土器の口縁部内側に、釣り手用の環状取手をもつ内耳の鍋形土器は、中世に始り、地方によっては近世まで煮炊きに用いられました。
時代によって形は変化し、室町時代(15世紀後半)のものは器高が高いのが特徴です。戦国時代(16世紀)になると、器高が浅くなります。戦国時代末期から江戸時代初期になると更に浅くなり焙烙になります。
鹿島城跡(鹿嶋市城山)の調査では、中世の内耳土器と外耳土器の両方が出土しています。土師質のものと瓦質のものがあり、共に外面には煤が付着していました。
鍛冶台遺跡(鹿嶋市厨地区)の調査では、墓域の地下式坑から古瀬戸製品や常滑製品と共に多くの内耳土鍋が出土しています。
このような内耳の製品は、市内の中世の遺跡を調査すると頻繁に出土することから、城館だけでなく、多くのムラに流通し使用されていたことがわかります。
また、鍛冶台遺跡の別の墓域の土坑では、鉄製の内耳鍋が出土しています。人骨の頭部に被せられており、鹿嶋市内では特異な出土例です。以前から鉢被りの埋葬例は流行り病といわれることが度々ありますが、鍛冶台遺跡の人骨は、壮年以降の男性であり、遺存している人骨には病変が認められなかったため、疾病による死亡と積極的には結び付けられません。今後、更に調査例が増えていけば、なぜ鉄鍋を被せたかわかるかもしれません。
一方、外耳土鍋の出土例は内耳土鍋より少なく、市内では鹿島城跡や祝詞遺跡、林城跡が挙げられます。
中世の遺跡の調査からは、土鍋のような生活雑器や銭貨が多く見つかります。テレビや映画の時代劇を見る時は背景に置かれていたり、使用している鍋をぜひご覧ください。内耳が付いた焙烙を使っている場合があります。
どきどきセンターPRESENTS-ココロオドル鹿嶋を再発見-
鹿嶋市どきどきセンターは、鹿嶋市内の発掘調査や鹿嶋の歴史・文化を伝える事業を展開しています。全24回、鹿嶋市内の発掘調査の出土品からみえる鹿嶋の歴史や文化・食生活など紹介していきます。また、どきどきセンターの企画展や事業をお知らせします。