これは江戸時代の銭!おなじみの「寛永通宝」です。あの世に行く「三途の川の渡し賃」にも使われていました。六道銭や六文銭として知られ「6枚の銭貨を死者に持たせる」といった習俗です。(銭は6枚とは限らず、地域によって七枚や十枚以上のところもあります) 六文銭で有名なのは真田氏の家紋です。
六道銭は「ろくどうせん」や「りくどうせん」ともいい、この六道とは仏教思想の六道、すなわち衆生がそれぞれの行いによって赴くとされる地獄道・餓鬼道・畜生道・阿修羅道・人間道・天上道の六道の思想からきています。
この六道銭の中に1枚絵銭があります。絵銭には題目銭「南無妙法蓮華経」、念仏銭「南無阿弥陀仏」の銭文があり、上の写真3は念仏銭です。鹿嶋市の厨台遺跡で見つかった墓坑には6枚のうちの1枚に念仏の文字が見えました。念仏銭は買い物をするときに使う銭ではありません。
厨台遺跡群の他の墓坑からも同様の銭が見つかっています。鹿嶋では17世紀後半から通常の貨幣といっしょにこのような念仏銭が墓に埋納されるようになりました。六道銭は室町時代ごろからはじまり、一般的になるのは江戸時代になってから、今でも死者の棺に紙に印刷された六道銭を封入する地域があります。
この習俗が広まった背景には、銭貨の流通が増大したことや六道など仏教思想の庶民への普及が考えられます。
江戸時代のお墓は現代でも使われている地域が多くあります。当時は土葬がほとんどで、市内の発掘調査では、現在住宅地や森林・畑になっているところから江戸時代のお墓が見つかることがあります。厨台遺跡群からは22か所の中世から近世にかけての墓域が見つかっています。古文書には長保寺の存在も見え、民衆が仏教を信仰し、死者を供養することが広まったことがわかります。一般的に17世紀末の元禄時代頃から、仏壇に位牌や本尊を安置し、寺の墓地や村落の共同墓地に石塔や墓石を建て、先祖を供養することが広まったといわれています。
どきどきセンターPRESENTS-ココロオドル鹿嶋を再発見-
鹿嶋市どきどきセンターは、鹿嶋市内の発掘調査や鹿嶋の歴史・文化を伝える事業を展開しています。全24回、鹿嶋市内の発掘調査の出土品からみえる鹿嶋の歴史や文化・食生活など紹介していきます。また、どきどきセンターの企画展や事業をお知らせします。