戦国時代無敗の剣聖。あなたは塚原卜伝を知っているか?

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塚原卜伝(ほくでん)は、茨城県鹿嶋市出身の剣士。生涯無敗の剣聖として名を知られています。鹿嶋市を訪れたら、ぜひ足を運びたいのが塚原卜伝の墓と鹿島神宮。ここでは塚原卜伝の人物像をご紹介します。

生まれ

塚原卜伝は、応仁の乱が終わった頃に生まれた、約500年前の戦国時代の剣士。鹿島神宮に仕える父は卜部氏であり、鹿島の太刀の継承者でした。吉川家の次男として生まれ、幼名は朝孝(ともたか)と付けられました。

生涯無敗の伝説の幕開け

朝孝は5~6歳の頃、塚原城の家に養子に行きます。元服後は塚原新右衛門高幹(つかはらしんうえもんたかもと)と名乗り、永正(えいしょう)2年に第1回の廻国(かいこく)修行に出ます。戦乱中の修行であったため、人の死を多く目の当たりにしたことで心を病み、故郷の鹿島へ戻ってきたといわれています。

鹿島神宮へ1000日間の参籠

心を病み、変わり果てた姿を見た父の勧めで、鹿島神宮に1000日籠り、自己の剣を見つめ直し、修行に励みました。修行を重ねた末に、卜伝と名乗り始めました。鹿島の大神から頂いた「心を新しくして事に当れ」という神示がきっかけとなり、卜部の伝統の剣と伝えるという意味が込められた名だといわれています。

国に平和をもたらす剣を伝える

第2回の廻国修業は、実父の死によって10年程で修行を終え、鹿島に帰ります。

第3回の廻国修行に出発したときは、70歳近くでした。足利義輝や足利義昭、北畠具教らを指導し、自ら完成させた剣である「一之太刀(ひとつのたち)」を積極的に伝えました。また一之太刀は「国に平和をもたらす剣」であるとされています。

平和を願った剣士の最期

永禄9年頃、第3回の廻国修行を終えて鹿島へと帰ります。戦国の世を生きたト伝は3回に渡って廻国修業を行い、83歳で生涯を終えました。生涯をかけて剣の道を貫き通したト伝は、剣聖の名で知られるようになったのです。

茨城県の無形文化財である塚原卜伝の墓

生まれの地である鹿嶋市にはト伝の墓があります。ト伝の墓は、鹿島新当流として茨城県が指定した無形文化財。映画やドラマでも数多く取り上げられた剣聖の墓には、今もたくさんの方が墓参りに訪れています。

住所▶  鹿嶋市大字須賀503番地

鹿島神宮

パワースポットとして知られる鹿島神宮。鹿島神宮に仕える卜部氏を父に持つ塚原卜伝とは縁のある場所です。また、1000日間参籠し、卜伝と名乗るきっかけが生まれた場所でもあります。塚原ト伝の墓を訪れた後、足を伸ばしてみてはいかがでしょうか。

住所▶ 茨城県鹿嶋市大字宮中2306-1


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