その7でございます。今回は潮来市の思い出を書かせていただきます。
お母さんの出身が潮来市だったので、幼少期から頻繁に潮来市には行っていましたし、今は梅雨の頃になるとオスペンギン2人で『あやめまつり』のあやめを見物するのが恒例行事になっています。
そんな僕は5〜8歳ぐらいの頃に、潮来市のピアノ教室に通っていました。確か『日の出地区』のあたりだったと記憶しています。
当時の山中家では毎週月曜日が『ピアノの日』と呼ばれ、学校が終わったら真っ直ぐ家に帰って、そのままお母さんに連れられて潮来のおじいちゃんおばあちゃんの家に行って、そこでテレビのアンパンマンを見て、結末の直前くらいでピアノ教室に行くという流れでした。
時間的に仕方がないのは理解していましたが、毎回毎回アンパンマンの結末が見れないという悲しいルーティーンは、今でもはっきり覚えています。
学校が休みの期間は、少し早めに行って、近くの慈母観音の池の鯉にエサをあげたり、公園で遊んだりしていた記憶もあります。
そんな少し早めに行ったある日に、夕立が降った日がありました。雨はすぐに上がって僕は公園で遊んでいたんですが、空に虹を見つけました。
おそらく初めて生で見たであろう虹に、僕は大興奮しました。そして、虹というのは『橋のように地面と繋がっている、カラフルで不思議な物体』と思い込んでいたので、その地面との繋ぎ目が無性に見たくなってしまいました。
なので、僕は『ちょっと虹まで行ってくる!』と虹に向かって走り出しました。
後ろから聞こえるお母さんの『早めに戻ってきてねー!』
今となってはただの注意だとわかりますが、あの瞬間は『つまり虹ってのは、早めに戻ってこれるぐらいの場所にあるってことか!』と間違った推理をしてしまい、とにかく走りました。
もちろん全く虹には近付けません。そしてすぐに疲れます。さらに足がもつれて転びました。怪我は無かったんですが、着ていた服が泥で汚れて一気に嫌になりました。
おそらく5分も走らずに引き返したと思います。
戻るとお母さんから『早いわね。虹まで行けたの?』と聞かれました。
子供特有の強がりで、『うん…行ってきた…』と答えてしまいました。
『あら良かったわね』と優しく微笑むお母さん。
僕だったら『本当か〜?』とか『じゃあどんな感じだったか教えて』など、少し意地悪を言ってしまうと思います。
当時のお母さんは今の僕より年下なのに、思い返してみるとなんて大人なんだろうと感じます。
嘘と分かっていても、夢を壊さず、意地悪もせず、全てを包みこむような慈愛に満ち溢れたお母さんの『あら良かったわね』
まさに慈母観音。さすが潮来市。さすが日の出地区。
ただ、ピアノ教室の前に転んで服を汚してしまった僕に気付き、微笑みから一転。顔を真っ赤にして鬼のように怒られた事もはっきりと覚えています。赤鬼でした。
こういうことは覚えているのにピアノの弾き方は全く覚えていないというのも、なんだか不思議な気分です。