前回の『その1』では、どうやって『茨城県住みます芸人』になったのかを書かせていただきました。今回幼少期の頃の思い出なんかを書いてみようと思います。
僕は、神栖市で生まれ育ったというのもあり、物心ついた頃から港公園が大好きでした。休日は父ちゃんに『港公園に連れてって!』と頼むのが定番になっていました。
浮かんでいる大きな船の格好良さに興奮し、底が見えない海から聞こえるザッパン!ザッパン!という音のスリルにハシャぎまわり、テッペンがUFOの形に見える展望台(当時は本物のUFOだと思っていました)の不思議さに好奇心をかき立てられ、子供だった僕にとっては『何回行っても飽きない最高のテーマパーク』でした。
たまに落ちているカピカピに干からびたヒトデを手裏剣だと思い込み、『港公園には忍者が住んでいる』と信じていた時期もありました。
そして、魚釣りも好きでした。10歳ぐらいの頃には、魚釣りのために港公園に行くようになっていました。
と言っても、当時は一匹も釣れたことは無く、どちらかと言うと『同じ場所で他の人が釣れてるのに、自分だけ釣れないのはおかしい!』とムキになっていただけのような気もします。何ていう名前の魚が釣れるかすら知りませんでした。
父ちゃんも『釣り好き!』というタイプでは無く、ちゃんとした釣りの仕方を知らないまま『竿から糸だして針にエサ付けときゃいいんでしょ』という感じやっていたので、今思えば道具も間違っていたような気もするし、エサも間違っていたような気もします。もちろん日頃の行いも悪かったのかもしれませんが…。
そしてある日の休日、またいつものように『釣れない釣り』をしていると、自分と同年代ぐらいの子供の親子がやってきて、釣りを始めました。
その父親は、服装、道具、そして折り畳み式のイスやクーラーボックスなど『フル装備』で、子供ながらに『絶対に釣りマニアだ』と確信しました。
その親子は10〜15cmぐらいの魚が数匹釣れていて、僕はハシャいでる同年代の子供に、勝手にライバル心を持つようになりました。
何が何でも魚を釣り上げたくなり、父ちゃんに『もっといい道具が欲しい!』とお願いしました。
『なんでだ?』と聞いてきた父ちゃんに、『あの人達は何匹も釣れてるのに、僕だけ釣れないんだもん!』と答えました。
『小魚ばっかりだろう?』
父ちゃんの言葉に、僕は『え?うん…まぁ…』と、なんとも言えない気持ちが湧き上がりました。
今でもその時の感情の名前は分からないんですが、もちろん納得はできてないんですが、とはいえ『道具が買いたくないから』という裏側も感じさせない雰囲気。そして言葉に重みを感じたというか…。
何も言い返せないまま、また『釣れない釣りを』を続けること数十分。
『パパ!すごい!大きい!』同年代の子供が叫びました。
そしてその子が30〜40cmぐらいの立派な魚を釣り上げたんです。
勝手にライバル心を持っていた僕の悔しさは、限界を超えました。
『父ちゃん!見た?やっぱりもっといい道具買ってよ!』
数十分前の一連から、僕には『買ってもらえる』という確信に近い感覚がありました。
そんな中、父ちゃんの口から出た言葉は今でもはっきり覚えています。
『どうせボラだろ』
『ボラ』という魚を知らなかった僕は、何が何だか分からなくなりました。やはり本心から出たであろう言い方に、『あんなに大きい魚なのに嬉しくないことがあるの?』と大混乱。頭の中が『どうせボラだろ』でいっぱいになりました。すると不思議な現象が起きたんです。
全然悔しくなくなりました。
『ボラ』は大きいけど釣り人からはあまり喜ばれないと知るのはだいぶ後のことで、その言葉すら初めて聞いたはずの僕のその親子へ向けた嫉妬と悔しさが『何も知らないで喜んでる…。どうせボラなのに』と、哀れみに変わっていたんです。
その時の魚が本当にボラだったかどうかは定かではありませんが、悔しくて悔しくてたまらなかった僕の気持ちを落ち着かせてくれた魔法の言葉『どうせボラだろ』
意味が分からなくても心の奥底に伝わってくる魔法の言葉『どうせボラだろ』
おそらく一生忘れないでしょう。
『隣の芝生は青い』という、他人の物は何でも良く見えてしまうという意味のことわざがあります。本当にその通りだと思います。
僕はそんな時、今でも『どうせボラだろ』と自分に言い聞かせます。
社会という枠組みで生きていれば、嫉妬や妬みなどが生まれてしまうことは避けられないかも知れません、そんな時は、ぜひ皆様もこの魔法の言葉で気持ちを落ち着かせていただければと思います。
どうせボラなんですよ。