「古墳に眠る宝物」の第8回は古墳を飾る埴輪の中から、円筒埴輪を取り上げます。第6回にて紹介した人物埴輪とは異なり、名前の通りの円筒状(土管を立てたような)の見た目をしています。頸部がすぼんでから朝顔のように開く朝顔形円筒埴輪と呼ばれるものもあります。大きさは30㎝から大人の身長をゆうに超える大きさまで様々ありますが、破片で見つかるケースが多いうえに単調な形が多いせいか、見た目の派手さはありません。しかし、そんな円筒埴輪は情報の塊。大事な宝物です。
円筒埴輪は人物埴輪など造形埴輪に比べて1つの古墳からの出土量が多い傾向にあります。同じ古墳に並べられていたということは、それぞれが比較的近い時期に作られ古墳に運ばれたことになるので、同じ時期の多くの個体からデータを得ることができるのです。人々の生産、消費の痕跡を物から見る考古学では、資料数の多さが非常に強みになります。実際に円筒埴輪は、その制作技法と古墳から見つかる他の副葬品とを合わせて研究が重ねられ、古墳の造られた時代を知るための「ものさし」として広く活用されています。埴輪は古墳を発掘しなくても地表で見つかるケースがあります。それらの資料があれば未発掘の古墳であっても遺跡を破壊せずに時代の推定が可能であり、とても有効な時代の「ものさし」なのです。また、埴輪を観察していくと異なる特徴を持つ埴輪が同時に並べられる例があります。1つの古墳に並べる埴輪を複数の工房が担当したと考えられ、古墳に葬られた有力者の権力の範囲や人々の交流を追究するための資料となります。鹿嶋市宮中字爪木の低地に若干残されている爪木1号墳は複数の円筒埴輪を持っていました。埴輪の元となった粘土の様子から、やはり複数個所で焼かれたものとみられます。体部に黒斑は見られず、窯を使って焼いたものとみられ、製造の時期は6世紀が考えられます。
今のところ鹿嶋で埴輪が見つかっている古墳は爪木1号墳、二子塚1号墳、奈良毛1号墳、宮中野98-2号墳になります。小破片が見つかるかもしれないのは宮中野夫婦塚と宮中野98-2号墳です。
たくさんの古墳を持っている鹿嶋ですが、そのほとんどは埴輪の生産が終了した終末期のものです。古墳時代の終末において古墳が激増する鹿嶋。これは当時の政治の中心地であった西日本の流れと逆行した出来事です。古墳時代から奈良時代への過渡期において、鹿嶋も含めた東国ではいったいどんな歴史が築かれていたのでしょうか。